中島らもの『永遠も半ばを過ぎて』の主人公の仕事は写植屋さんでしたね。
DTPによっていちはやく淘汰されてしまったのが写植という職種です。
現在日本全国でどれほどの写植オペレーターが生き残っているのかわかりません。
写植とは印刷物の印字のことです。その印字作業をするのが写植オペレーター。
活版(活字)からオフセットへ変わって生まれた職業でした。
その後、電算写植に発展するはずが、DTPの登場で必要とされなくなりました。
久保田さんは写植のオペレーターでした。
高校に進学したかったのですが、父親が酒乱でそれを許しません。
それを惜しんだ担任の先生が父親を説得に訪れたとき、
父親はこの女性の先生を殴ったそうです。
久保田さんの一番悲しい想い出だったと聞きました。
とにかく、こんな家をはやく出てしまうことが先決だったようです。
県庁所在地の製造業の会社に入社して寮で生活していたそうです。
休みの日はお金がないのでどこにも行けず、寮で麻雀を打ちますが、
本当にお金がないので負けることのできない打ち方が染みついてしまったとか。
相当な腕前でしたが、本人はそんな理由であまり面白く感じないとも語っていました。
オイルショック以前の賃金は安く、オイルショックによってその会社は倒産。
上京して写植オペレータになったのはその頃です。
飯田橋の小さな製作会社に落ち着き、数年後に仲間たちと一緒に会社を作りました。
腕も良かったので電算ではなく手動機でも十分に繁盛しました。
彼は奇妙な共同生活を送っています。
千歳烏山のアパートで父親との共同生活。
父親といっても本当の父親ではありません。
以前、西新宿のスナックで働いていた女性と恋愛して同棲をはじめました。
しばらくすると、北海道から彼女の父親が上京して三人で暮らすことになったそうです。
彼女にとって、この父親しか身寄りはなく、
結婚を前提として三人で生活していく計画があったのでしょう。
それからしばらく経って、
彼女が姿を消してしまいます。その理由は聞きませんでした。
そして、久保田さんと彼女の父親の二人だけの生活が始まります。
周囲はバカな奴だとか理解できないとか
必要以上に苛立ち、罵倒しますが、久保田さんは何も言いません。
何軒目かで下北沢の井の頭線の向かいにあるうるさいロックバーに流れました。
二人だけになったときに事のあらましを初めて聞き及びます。
消えた彼女の話はあっさりしたもので未練はないようでした。
それはなんの誇張もなく淡々としたものでした。
彼の実父や生い立ちなどもそのとき、はじめて聞いたものです。
店は相当にうるさく、私たちはこんな話を大声で耳元でがなり立て合う。
腹の底から搾り出す身の上話というものもオツなものでした。
大久保さんは彼女の父親を「おとうさん」と呼んでいると教えてくれました。
帰ると食事の支度とかしていてくれて、重宝しているといって笑うのです。
今夜のように遅くなるときはあらかじめそう言っておくのだとか。
一人暮らしが長く、帰宅するときに部屋に灯りがついているのもいいものだとか。
休みの日にお墓参りに一緒に行くとも聞きましたが、
誰のお墓でどこのお墓かというのは聞き忘れてしまいました。
血は水よりも濃いといいますが。
ときには濃すぎてしまうことがあります。
他人と他人の血は水よりもどれほどに濃いのか私は知らない。
それを思えば、夫婦も他人であり、人はそういう血の濃さとは関係のないところで
家庭とか家族とかの小さな新しい共同体を作ろうとする。
当たり前と言えば当たり前の話ですが、不思議な生き物です。