あかんたれブルース

継続はチカラかな

それぞれの家族の肖像

『手と声の輪』〜テーマ「家族」〜 番外


もうかれこれ二十年ぐらい前の話です。
取引先の写植屋さんの会社から忘年会に招待されました。
一次会から二次会に流れたところで、酔いも手伝ってか
住連さんが佐々木さんに絡んでいました。

二人はその得意先の方で
住連さんとは、わたしが勝手に付けたニックネーム。
顔がヤー様なので住吉連合から住連さん(笑)。

バカだよ。信じられない。とバカを連発しています。

ちょっと気になって隣の加トさんに
「ねえ、どうしたの」とそれとなく聞いてみた。
加トさんが苦い顔をして語ってくれた佐々木さんのバカの事情とは

佐々木さんは付き合っていた女に逃げられて
その父親を押しつけられたまま、いまも同居しているんだそうです。

理解できませんよ。と加トさんも苛立って吐き捨てた。
そのときはそのまま。それから年が明けて
今度は新年会に佐々木さんを招待した。そのまま下北沢に流れて
その後、佐々木さんと二人だけで井の頭線の向かいの飲み屋に入った。

佐々木さんは実直なタイプでリアリストです。
世の中を冷めた目で見ている。わたしより五歳ぐらい上なんでしょうかねえ。
写植のオペレーターっていうのはみんな癖があります。
彼もそういう人です。

三軒目ですしね、聞いてみましたよ。逃げた女とその父親との同居の件を。
佐々木さんは否定することなく語ってくれました。

スナックで知り合った女だったそうです。
そして男と女が一緒に棲みました。所帯を持つつもりだったんでしょうねえ。
女が東北の実家で一人暮らしをしている父親を呼んで一緒に暮らしたいと。

佐々木さんはそれを了承した。

三人の同居が始まって、しばらくして女が逃げた。その通りの話です。
男たちが取り残されて、そして見ず知らずの二人が一緒に暮らしている。


佐々木さんが身の上話をしてくれた。
なんでそんな話をしてくれたか、わたしが父親の酒乱の話を漏らしたからです。
こういった話は普通他人にはしない。
する相手によってキャパを超えてしまうと座を重くしてしまうから
そういうことをわたしも佐々木さんもよく知っていました。
でもなんとなくこういうのっていうのは臭いでわかるものです。

佐々木さんのお父さんもそりゃあ酷い酒乱だった。

わりと成績が良かったそうです。そう彼は頭がいい。
高校進学を奨める担任の教師が、若い女の先生で綺麗な先生だったそうです。
その先生が佐々木さんの家にまで来てくれて父親を説得してくれたそうです。

「あの馬鹿親爺は先生を殴っちゃいましたからね」

あれ、ま それは痛恨の想い出となりましたねえ・・・(汗)

それで彼は中卒で上京してどっかの工場の寮に入ったそうです。
オイルショック前の話で、とにかく給料が安い。
休みの日も遊びになんかいけません。出れば金使うしね。
くすぶった寮の連中で麻雀をやるわけです。
この麻雀はそこらの麻雀とは違う。みんな金が無い者同士の死闘ですよ。
笑って、はい「チッチ(7700点)」なんていえない。
わたしは現在の彼の会社の人たちとよく麻雀を打ちましたが
話によると佐々木さんが一番強いのだそうです。
でも、佐々木さんとは一度も打ったことはなかった。
彼にとっての麻雀は、シビアなもので娯楽じゃあなかったようです。
「馬太郎さんとは打たない」と言っていました。

佐々木さんのお父さんは既に他界されていた。
それだけが少し羨ましかった。
お父さんが亡くなる前の年かなんかに手紙をもらったそうです。
それは達筆な筆文字だったいいます。

馬鹿しい。そういってすぐ捨ててしまったと言っていました。


逃げた女の話に話題をかえました。
彼は未練がましいことは何もいわなかった。だから具体的なイメージはわかない。
なんで逃げてしまったかも、わからないと佐々木さんは言っていました。


でもね、仕事が終わって夜
アパートに帰ると
自分の部屋の窓に灯りがついているのだそうです。
逃げていった女の父親が佐々木さんのために夕食を作って待っている。
何度も気にしないでいいからっていっても
佐々木さんが帰ってくるまで自分も食べないで待っている。

こぼしていましたよ

おかげで残業してお腹が空いても食べられないんだって。
いつも夕飯作って待っているわけですからね。
でも、佐々木さんのその時の語り口調はなんというか嬉しそうでした。

身寄りのないこの逃げた女の父親は故郷から妻の遺骨を取り寄せて
こっちにお墓を買ったのだそうです。
そのときはまだ彼も佐々木さんも三人で一緒に暮らすつもりでいたんでしょうね。

休みの日は、たまに佐々木さんも一緒に墓参りするといっていました。
それ以外でもよく夕方には二人で近くの公園を散歩するんだとか。

わたしには佐々木さんの話がポエムのようだった。
酔いがまわっていたせいでしょうかね。
住連さんや加トさんの苛立ちもわかる。二人は佐々木さんが好きなんだ。
そして腹を立てているんだよね。

いまでもたまに、佐々木さんとその逃げた女の父親というお父さんのことを
天気の良い休日の午後に思い出したりします。
多磨霊園かどうか知らないけれど、
二人の男が寄り添っている、そういう風景に想いを馳せれば
なんとなく家族という言葉が浮かんできます。



この記事は、『手と声の輪』
http://blogs.yahoo.co.jp/haru_zion_haha春紫苑『Hand In Hand』参照)企画として書いた記事です