あかんたれブルース

継続はチカラかな

恐いバルカン馬鹿七人



このように政財界の根回しをして日露戦争へ向かいます。
それほどに、この戦争は無理がありました。国力、軍事力の差。
まず、日本にはお金がありません。
けれども、ロシアが満州に兵力を充実させる前に開戦して
短期決戦で勝利を拾い講和に持ち込むしかない。
それが大山や児玉などの軍首脳部の考えだった。
その意味で日露戦争を若い参謀達の熱望と捉えるのは間違いです。
それを決して悟られないようにすることが首脳陣の姿勢だったのです。

それを煽って民衆を焚きつけるものがいる。たとえそれが正論でも
痛し痒しなのです。

「きょうは馬鹿が七人来おったわい」

大山巌陸軍参謀総長のこぼす、この七人とは?


余談だが、

「七博士意見書」を提出した東大七博士のことを指すのでしょう。
これは、明治36年日露戦争開戦の前年の6月に
桂首相、小村寿太郎外務大臣に提出された対露武力強硬路線を迫っもので、
バイカル湖まで侵攻しろ」の主戦論は世論に大きく影響を与えました。

そのメンバーは
東京帝国大学教授戸水寛人、富井政章、小野塚喜平次、高橋作衛、
金井延、寺尾亨、学習院教授中村進午

七人の馬鹿学者です。

そんなこと言わなくても政府は、軍部は、調べている。わかっている。

この意見書を読んだ伊藤博文
「なまじ学のあるバカ程恐ろしいものはない」とため息をついた。
明治時代には薩摩閥と長州閥の他に東大閥という第三の派閥が存在しました。
脚気問題を引き起こす森鴎外も東大医学部の閥です。閥。

この七人の馬鹿はその後、ポーツマス条約に反対して
今度は上奏文を宮内庁に提出します。

これが日比谷焼き討ち事件の放火魔です。

ポーツマス条約を逃して、それこそ「バイカル湖まで侵攻しろ」
だったら、その途中で日本は確実に破産していました。




坂の上の雲』文庫第三巻 第二十二章「開戦へ」(3)