あかんたれブルース

継続はチカラかな

「やくざ」と「力道山」という世間の差別意識の根元

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 日本の戦後における社会構造と日本人の在り方、そして差別。
 これがこのブログの「仁義」記事のひとつのテーマです。
 「仁義なき戦い」という手記原作映画等から私たちは色々なことを考える
 ヒントにできると、私は考えました。

 「仁義なき戦い」の価値を高める要因にはライター笠原和夫の取材による事実があります。
 東宝の黒沢でものなく、松竹の野村芳太郎でもない。
 芸術性も社会派も求めない娯楽の殿堂「東映」から発せられたところに、
 笠原和夫の偉大さがあります。この作品は実録である以上に「歴史」です。

 歴史は未来をかざす篝火であると言われます。
 しかし、私たちはその歴史から学ぼうとはしません。
 たとえば、戦争を語ろうとすときに
 「私は戦争は反対です」という断りを、いや、お呪(まじない)いを唱えます。
 「仁義」からアプローチしようとすれば「私はやくざ(暴力団)は嫌いです」となるのでしょう。
 歴史や真実を知ることは面倒で厄介なものですね。
 しかし、それ以上に私たちは躊躇と恐れを感じとっているのかもしれません。

 「自由と平等」という言葉を胸を張って主張する人もいます。
 まるで水戸黄門の印籠のように。
 でも、それは嘘です。
 そんなものはこの世に存在しません。
 世の中とは人生とは「不自由で不平等」です。

 そして、あの印籠が権威の象徴であり、その時代環境でしか通用しないことを知るべきでしょう。
 時代と環境とは、天下の副将軍がかざす葵の門に権威があった徳川時代ですね。
 あれと同じ行為を現在やってみても青山骨董通りの親爺が「いい仕事してますね」と
 誉めてくれるだけでしょ。あとは医者が来ますかね。
 それに、あれはTBSのドラマの話であって「実録」でも「事実」でもありません。
 徳川光圀は諸国漫遊の旅をしたのではなく「大日本史」編纂に着手した人物です。
 それが祟って徳川幕府はひっくり返ってしまいました。
 彼らが唱える「自由と平等」は「まやかし」であり、悲願です。問題の根本を混ぜ返すだけです。

 では、「仁義なき戦い」には歴史的な考察の価値があるのか?
 ありますね。
 少なくとも『国家の品格』なんかよりもある。
 まあ、それはおいおい綴っていきますが、上の写真を御覧ください。
 これは映画でなく実話として山村組の若頭・佐々木哲彦(映画では松方弘樹)が
 盟友関係となった小原組関係者との興行でよんだ力道山を交えての記念写真です。
 (プロレス興行の興行とは芸能などふくめてやくざと関係しています)
 後に佐々木はこの小原組によって殺害されるのですが、この時期はまだ蜜月の昭和30年代初頭。
 女の子を抱えているのが佐々木で右後方が腹心?の樋上(映画では田中邦衛)。
 左後方が佐々木殺害の首謀者のひとり石谷綱朗、力道山、女性は小原光子(馨の妻)、
 そして門広(佐々木殺害の首謀者で『新仁義なき戦い』では、これまた松方が演じる)。

 いまでこそ戦後国民的な大スター「力道山」が在日朝鮮人という事実は皆さん御存知でしょうが、
 このブログでも紹介した『奴らが哭くまえに』が刊行された頃は公然の秘密でした。
 力道山は日本人でなければいけなかったのです。
 この本にも詳しく記載されていますが、『東京アンダーワールド』がトドメでしょうか。

 芸能界やスポーツ選手などには在日出身の方々が多いのことはよく知られています。
 それがどうした。(学会も多いし、イラストレーターは幸福の科学も多い時期もありました)
 と私は思うのですが世間一般を気にするマスコミはそうではないようです。
 マスコミの件はここでは置くとして、世間一般とは我々のことです。
 力道山は戦後復興の歴史的なシンボルでもあり、日本人の自信回復のユンケルでした。
 
 そこに事実の隠蔽があり、そこに「差別」があります。
 力道山が在日だったらあんな大スターになれたかどうかの是非はともかく。
 ナショナリズム国粋に批判をかたむける一方で世間一般の常識はそんなところで揺れるのです。
 これが現実というものなのか。

 「仁義」をネタにこの週末は差別について考えてみたいと思います。