鎧の話(1)
上の写真は昭和30年代初頭の広島市呉で美空ひばりの興行打ち上げの記念写真です。
美空ひばりが山口組三代目田岡一雄組長の庇護にもとにあったことは有名な話です。
山口組には神戸芸能社という芸能部門があって、
それが問題で彼女は紅白歌合戦やNHKの歌番組に出演できなくなります。
山口組については別の機会で記事にします。
美空ひばりの向かって右が佐々木哲彦。
『仁義なき戦い・第一作』で松方弘樹が演じた坂井鉄也のモデルです。
映画といってもこの第一作と『新仁義なき戦い』で描かれている佐々木哲彦は
自在にかなり近い。モロかもしれない。
第一作で広能(菅原文太)に
「どうにもこうにもこの稼業が嫌になる。
夜中に眠れず、よっし明日は堅気になろうと思うが
朝起きて、若い衆に囲まれていると、そのことを忘れてしまう自分がいる」
という弱気を漏らしてします。台詞は原作手記にもありますから本当のようです。
親分山村辰雄を追放して4ヶ月の天下の昭和34年に暗殺されました。
美能(広能)は大正15年で、若干年長でしたから享年は36歳~37歳ぐらいですかね。
山村組の最高実力者て君臨していたのですが、若干若すぎたようです。
プレッシャーが相当にきつかた。
佐々木の家には年代物の立派な甲冑が飾られていたそうです。
この鎧が佐々木の姿を現していたと正延哲士か堂本淳一郎
のどちらかが書いていました。(すみません、確認します(汗)。
鎧の話をしようと思ったのですが、前説で長くなったのでまた明日(涙)。
最後にその坂井(佐々木)の弱音に対して広能(美能)の言葉より
「 そがな考え方しちょると、心に隙ができるぞ。
最後じゃから云うちゃるがよ、
鉄ちゃん、
狙われる者より、狙う者のほうが強いんじゃ、、、。 」
本日は神保町界隈を彷徨いています。
古畑事務所の方々へ
もしアバターに似た不振な男がいたら声をかけてください。
「馬太郎さん、まだ弾は残っちょるがよ」と