あかんたれブルース

継続はチカラかな

危険な「恐れ」の抗生物質

 人間、塞翁が馬と申します。

 思わぬ幸運や成功が落とし穴になってしまう場合もあれば
 とてつもない失敗や敗北の挫折が新たな発展の切っ掛けになったりもします。

 それは人それぞれ。
 その敗北を成功に切り替えることが出来た者。そこでお終いにする者。
 運命とはその分かれ道にある立て札なのでしょう。
 どっちを選ぶかは自分次第。運命は常に自分の手の中にあります。

 それでも誰もが失敗や敗北は望みません。
 最初からそれを熱望するのは殉教者だけかも。どこか違う。
 とは別に、
 そこでひとつ禁じ手として

 スティーブン・キングの作品に『ゴールデンボーイ』という作品があります。

 この登場人物に
 元ナチでユダヤ人虐殺に関与して国際手配を逃れて隠れて生きる老人が登場します。
 彼は神をも恐れぬ精神力と頭脳と行動力を持っている。
 生に執着しているようであり、その強みは「いつでも死ねる」用意があること。
 彼は自分の生命さえも自由できる恐ろしい男です。
 簡単こと。最後は死ねばいいと、そのための安楽死の薬を用意してある。
 そして罪を神を恐れず、彼の恐ろしい行動は静かに確実に行使されていきます。
 彼に良心の呵責などない。
 最後は死んでしまえばいいのですから、この世に恐いものなど無い。

 お話は、すべての犯行を終えて、最後にその毒薬を瓶をあけて飲み干す。
 通常ならば、最後は悪が亡ぶ。となるのでしょうが、
 読者が悲鳴をあげるのはこの老人にとって死は理不尽ではなく
 計画されたピリオドであって、悲劇でもなんでもない。こと

 ところが、彼が瓶の薬を飲み干して意識が遠のくその刹那。
 彼を取り巻くのは安念な無ではなく、
 未来永劫の悪夢の始まりでした。
 読者はそのとき初めてこの男の悲鳴を聞きます。


 地獄天国は作り物であって観念的なものです。
 ただ、魂というものが苛まれる未来永劫の悪夢というものは
 宗教を越えて納得させられてしまう。
 さすがキングだ!

 人間はどこかに謙虚とは別に傲慢を有しています。過信ですね。

 本来の勇気とはそこにはありません。
 理論武装や鍛錬や権力や財力などを味方にして
 弱い立場にある相手を駆逐したからといって、そこに勇気なんて存在しない。

 勇気とは、震えながら一歩前に踏み出す行動をいいます。
 端から見たら、そう格好いいものではありませんが、
 その一歩の価値は大きい。

 「強い」ということは
 そういうことだと思います。