コミュニケーション能力(マー君の場合-7)
マー君に同情すべき点はたくさんあります。
結局、マー君は貧乏くじを引いてしまったことになる。
それでも必死に彼なりに組織に忠実であろうと努力しますが、
結果に結びつきません。食事ものどに通らず、不眠症に陥る。
攻撃目標は203高地(西方)に切り替えますが、同時進行で東北正面も続行。
マー君は色々な方面に気を使っているようですが、一貫性がない。
そして、白襷隊という決死隊の突撃を許可してしまう。
これには第三軍の参謀たちのほとんどが躊躇したにも関わらず。
現在、マー君の名将か愚将かの論争で、前者を唱える方々を沈黙させるのなら、
この「白襷隊の許可」を挙げれば一発なのです。
それでも、悲劇の名将というならば、
「悲劇」の名将など有り得ない。名将とは強運という絶対条件がある。でトドメを刺せるでしょう。
しかし、マー君を貶めても意味はないのです。可哀想。
旅順は参謀本部から児玉源太郎がやって来て、指揮権を一時借り受けて203高地を落とし、
そこからの砲撃で旅順港内のロシア(残存)艦隊を撃破します。
これで、海軍の要請はクリアしました。
12月5日、6日のお話。
旅順要塞の本体の降伏は細木(嘘)の予言した通り、年明けの1月1日。
それまで、国内では誹謗中傷で自宅への投石など非道いものがありましたが、
一転して英雄となります。
日露戦争終結後、海軍は東郷平八郎。陸軍はマー君が最大功労者となる。
マー君はその後、学習院の校長となり、
明治天皇の崩御と共に、夫人を道連れに殉死する。当時はその行為に賛否が分かれました。
マー君は神格化され、神社に奉られる。
そういうことを彼が望んだとは決して思えません。
彼は生きていても死んだあとにも時代に翻弄され続けているように感じてならない。
軍人になどなりたくなかったマー君。
そして、常にコンプレックスを抱いていたマー君は、必死にそれを克服しようと頑張りました。
それはとてもストイックな生き方となったようです。
忠臣でありたい。マー君はそんな武人に憧れを抱きました。
寡黙であることが、従順であることが、理想の武人であると。
だから不平など言ったりしません。
マー君を名将だとか愚将だとかの論争にはなんの意味もない。
司馬遼太郎はあえて「高級軍人」の能力について指摘しました。
その能力とは何か。
私はそれを、コミュニケーション能力だったのではないかと思います。
不器用なマー君。
その一番の理解者が「有能」だとされ比較されている児玉源太郎である皮肉。
人一倍正義感はあったマー君には、それを体現するすべがなかった。
それを時代のせいにするか、マー君個人の資質とするかは別として、
彼に欠けていたものはそれだったと思うのです。
そんなことに思い馳せれば、マー君は軍神などではなく、
私たちと同じ性質をもった人だったのではないかと。
気弱で善良で、人一倍正義感はあっても、それを体現できる方法論を持ち得ない、
不器用で、幸運など望んでも瞬きのようなもので、ツキに見放されると、すぐ諦めてしまう。
マー君は私たち以外の何者でもない。