あかんたれブルース

継続はチカラかな

風呂場で天使に問いかけられて




先日、Kちゃんとお風呂に入っているとき

「ね、パパ 昆虫は痛いって感じる?」と聞かれた。

「そりゃ、感じるんじゃないかい。神経あるし。植物は感じないみたいだね」

頷いて、納得するのですが、なにか言いあぐねています。そして

「でもね、前にテレビで植物の言葉を解読する機械が紹介されててね・・・」

と、意外なことを話し出す。要約すると、
その機械を使って実験すると、葉っぱを千切ると「痛いよお」と言うそうな。
葉っぱに手をあてていると「気持ち悪いなあ、はやくどかしてよ」と言う(汗)。
意外でしたね。

でも科学や歴史の常識や事実は塗り替えられていきますしね。
地球は回っているし、あれは武田信玄肖像画じゃなかった。とか(笑)。

さて、再び。例の「痛み」についての話。また蒸し返します。

「人は泣きながら生まれてくる」すっかり定番になった枕言葉。
お母さんもお腹のなかは快適だったそうです。
狭い産道を抜けてこの世に生を受けます。母子共に苦しい。
最初のストレスの洗礼を受けるわけだ。
そして生まれたこの世はストレスだらけ。お腹はすくし、眠いし、オムツは濡れて気持ち悪い。

言葉を発せられないわたしたちは泣くことでコミュニケーションをとる。
訴えるわけです。

やがて歩けるようになって、あっちこちぶつけて転んで、痛い。
その理不尽を親に訴えるために泣く。

痛い、苦しい、ストレス、泣く。

やがて大人になって、よっぽどじゃないと泣かない。
泣いてもどうにもならないことを知りました。成長した。

直接的な痛みよりも、心の痛みに反応するようになります。
そして、自分の事だけではなく、他人のために泣くようになる。


Kちゃんとの話の続き

「ね、パパ なんで人間には(痛みを感じる)神経があるのかな」

「それがないと、痛みを感じないと、あっちこちぶつけても痛くないだろ
 そうすると人間の体は壊れしまう。骨折して血が出でも痛くないんだ。」

「へえ〜っ」

そうなんだ、痛みがないと人間は死んでしまう。


わたしたちは痛みを嫌います。(歯医者が好きな人は相当の「M」)
それは当たり前。でもね、
心の痛みを嫌がる。傷つくことを避けようとします。それも理解できる。

けれども必要以上にそれを避けようとして、人を信じることを恐れます。

できるだけ、無関心でいようと心がけ、それが尊重であり知的なのだと言い聞かせる。
距離を保とうとします。ヤマアラシのジレンマ(1)はそこにあります。


また、無神経な人間になろう試みる人もいます。

生きることは苦しい。常に痛みを伴っている。
けれども、痛みは生きている証なのかもしれない。
これが痛みの意味なのか。

人は光ばかりをもとめて、影を恐れる。
しかし、陰影があってこそ見えてくるんだ。写真でもそうでしょ。



痛みを避けて生きること、人の痛みを理解できない生き方。

Kちゃん、それは正しい生き方じゃないと思うんだ。

「そうだねえ」


息子よ、こんな会話ができるようになって、パパは嬉し〜い(涙)。
ぎゅうううう。と抱きしめちゃう。
「気持ち悪いなあ(汗)」←(Kちゃん)




(1)ヤマアラシのジレンマ

   凍える寒さのなかで、二匹のヤマアラシが身を寄せ合って
   暖め合おうとしています。
   けれども、お互いの針が刺さって痛い。近づけないでいます。
   それでも寒いので身を寄せようとする。
   何度もそれを繰り返して、
   二匹はちょうど良い距離に気づいていくのだそうです。