あかんたれブルース

継続はチカラかな

ボーッとしてボケてツッコミ、万万歳。



なるほど大臣といわれて権兵衛のロボットといわれた
西郷隆盛からは「大馬鹿者の信吾(従道の幼名)」といわれた西郷従道

しかし、その人物の大きさは大隈重信をして
「なんでも引き受ける(収めてしまう)貧乏徳利」と絶賛させました。

ボーッとした人だったようです。

小さい頃から(汗)。

16歳年長の隆盛から漢学を学んだそうです。
近所の伊地知正治からは儒学を学んだ。
この人は兵学者で後の薩英戦争から戊辰戦争を薩摩の軍師をなさったかたです。
で、この伊地知の門に入ってもボーッとしていて朋友はバカにします。
が伊地知先生は
「英雄と愚か者は似通ったところがあるもんじゃ。
 龍助(従道)は大物になるかもしれんぞい」

伊地知先生、彼は大物になりました。


さて、大物従道。
私は「つぐみち」と読みます。「継ぐ道」西郷隆盛の志を継ぐ道。いいでしょ。
他には「よりみち」とも読みます。寄り道と揶揄されたものです(涙)。
本当は「じゅうどう」だそうです。
で、ホントのホントは隆興「りゅうこう」(本名)だったのですが、
維新後に太政官に登録する際に聞き間違えられて従道「じゅうどう」になちゃった。
「そいならそいでよか」 大物だよ。


でも、従道。ただボーッとしてるだけじゃない。
結構、きついツッコミと破天荒なボケをかまします。
では予定を変更して「西郷従道劇場」。

まず、ボケから
海軍大臣のとき、海軍拡張に対して国会で追求された。
「なぜこんなに費用がかかるのか!
 軍艦はとは、いかなる働きをするのか!」
この議員の詰問に騒然となる場面で、壇上に立った従道は深々とお辞儀して、

「軍艦は鉄でつくってありもんす。
 そして、大砲を撃つのでごわす。」

議会は静寂に包まました。

ボケばっかりじゃありませんよ。ツッコミも冴えてます。

第二次伊藤内閣成立前に赤坂離宮天皇招待の宴席に
後藤象二郎が遅れてきて一番奥の上座に座わろうとすると、従道は
庭石を拾い後藤のポケットに入れようとします。
「?」訝る後藤に、
「おはんでは、ここに座るには重みがたりないから足してやろうと思ったんじゃ」

また、木戸、大久保、岩倉が死去した後、
大隈重信が怪気炎を吐いて閣僚たちが沈黙してしまったとき、
「本当におはんは偉かお人でごわすなあ。
 明治何年の事件も、何年の仕事も、みんなおはんの仕事でごわしたなあ」
と従道がその功績を並べたてました。

大隈は焦って
「いや、あれは木戸さん、これは大久保さんの仕事ですよ(汗)」
と訂正しました。従道はトボケて
「さようでごわすか。おいは、あまいに貴君が偉いので、維新前の仕事までみな
 おはんがやったのかと考えたのでごわすよ」
大隈は閉口し、以後慎むようになったそうです。ははは

こんな具合で、従道のボケには時に強烈な毒舌ツッコミがあります。
でも、人徳なのでしょうかね。憎まれないもです。
政治家として政敵に憎まれない。かといって八方美人では決してない。

伊藤博文が欧州外遊から帰ってビスマルクに強く影響された時期があります。
そのマネをして葉巻をくわえビスマルクの話ばかりする。
まるでビスマルクが乗り移ったようなビスマルク病です。そのとき、
「なるほどビスマルクはおはんに似ちょりますのう」とやって
伊藤はぎゃふんとなったとさ(笑)。

伊藤は「西郷がなるほどと言うときは油断ならぬ」と漏らしたとか。

といって、伊藤と従道の関係は悪くない。
伊藤は従道に多くの借りをつくり、それを返すことなく
従道は死去し伊藤も暗殺された。信頼しあうそんな関係です。

伊藤のビスマルク病のエピソードで
葉巻に凝る伊藤を「昔は宴会の豆腐の勘定に頭を抱えていた」と
皮肉った木戸孝允のそれとはセンスがスケールが違う。

従道と木戸との大きな、とっても大きな違いです。

西郷従道、大馬鹿者万歳。





坂の上の雲』文庫第三巻 第十八章「権兵衛のこと」(3)

酒宴の十八番は裸踊りだ。鳩山邦夫よ、従道は最低の人間か?
因みに大久保利通は畳を廻します。
西郷隆盛は、ローソクで・・・陰毛を、燃やす。バンザ〜イ!