あかんたれブルース

継続はチカラかな

児玉源太郎と山本権兵衛の比較

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しかし、山本権兵衛・・・謎だ

この男になぜこんな力があるのだろう。
加治屋町出身者としては最年少ながら西郷兄弟とは特に親しかった。
ある意味で薩摩のプリンスです。
陸軍の川上操六との共通点としては薩閥にこだわらなかった点。
その川上に対しても
日清戦争のときに反抗して海軍の独自性独立を一歩前進させています。
陸軍は海軍をその指揮下におきたかった。

権兵衛としては、海軍の運用は海軍のプロでなければできない。
と考えていた。
国防としても、日本にとって海軍がいかに大事か権兵衛は知っていた。
けれども、今回のこの対立はなにか?

図式で考えれば、
児玉源太郎(陸軍・長州)VS 山本権兵衛(海軍・薩摩)

なのでしょうが・・・
陸海の対立は藩閥の対立とは別の次元で深刻なのです。
ここにも「薩摩ワンワールド」という発想の難しさがあります。

日露戦争の気運が高まった時期、血気盛んな若手参謀たちは
態度を明らかにしない海軍のリーダー山本権兵衛大臣にヤキモキします。
井口省吾
「山本大臣は海軍のことしか考えていない」と痛烈に批判している。

まあ、組織のトップが国家存亡の危機に
そうやすやすと軽はずみなことは言えないものです。
大山巌だってそうでしたよね。
権兵衛にやる気がなかったら六六艦隊を整備しなかたし、
東郷平八郎を抜擢しません。

しかし、この井口発言の半分は当たっている。

坂の上の雲』の文庫本第三巻「風雲」の章の最後150頁に
日高壮之丞と東郷平八郎の交代理由のひとつに
ロシアの馬山浦租借があり、これに陸軍が慌てた(汗)。
画像地図でわかるように対馬のすぐ近くです。
陸軍はなんとかそれを阻止しようとあの手この手で奔走します。

ただ一人、山本権兵衛だけはしめしめとほくそ笑んでいた。
彼の海軍戦略では
その頃のロシア太平洋艦隊は旅順、仁川、ウラジオストックの3つに分散
されていました。それが馬山浦も加われば4つに分散されて
弱体化されひとつひとつを撃破殲滅するの「有利」であると
山本権兵衛は考えた。

さて、これをどう考える?

確かに、制海権を完全に掌握させなければ日露戦争はおぼつかない。
のではあるのですが・・・微妙。

それ以上に、権兵衛は陸軍に対してツッパッテいる。
彼が一番警戒した、ライバル視した、そして苦手だったのが児玉源太郎だった。
自負心の強いこの男にとって山県や桂、おまけで寺内なんて屁とも思わない。
が、児玉だけは油断ができない。

ドイツ皇帝や袁世凱も脅えた強腕・山本権兵衛でしたが、
その自負心から意固地で意地っ張りな反面が出た。
それが「旅順攻略戦」に繋がるのです。

日露戦争にあたって、陸軍は再三、旅順は大丈夫かと念を押していたのです。
その都度、権兵衛は「その必要はございもはん」とはねつけていた。
それが緒戦の黄海海戦とウルサン海戦で取り逃がして
旅順に逃げ込まれたことから急遽、陸軍に
「やっぱりお願い、旅順を陸から攻めておとすてくれもはんか」
となった。わけです。

旅順の悲劇は海軍の、そして山本権兵衛にもあるわけです。
だから、秋山真之の「何万人死んでも・・・」という発言は
無神経でもあるわけだ。
そんなことを今さらいっても仕方ありませんけどね。

児玉は、この廈門事件で
海軍との連携を密接にしておかなければいけないと痛感した。
その意味で、気を使ったのです。とっても
旅順に対して「竹矢来でも置いて放置プレーだ!」としたのに
一転して情報準備不足にも関わらず急遽攻めたのもそんな事情です。

その意味で、井口省吾の発言は半分は当たっている。
これはあくまでも私見ですので、御注意くださいね。

結局、日露戦争は陸軍の南満州の戦いで連勝連戦とはいても
決定打に欠けるものであって
最終的には日本海海戦バルチック艦隊殲滅の奇跡的勝利が
決着をつけたいって過言ではない。

そう考えれば、山本権兵衛の戦略も間違いではなかったのですが

山本と児玉の世界観を比較すれば、
児玉のほうがより大きかったと
わたしは考える。



分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(13)近現代史のなぞなぞ(3)
児玉源太郎の存在の捉え方(3)