リオオリンピックも閉幕して
今だその余韻で引っ張ってる番組もありますが
ワイドショーネタでは限界もあって
気の利いたところでは時事ネタに移行
してるところもあります。
ネット言論の在り方とか教育問題とか
そのなかで
NHKが取り上げた貧困家庭の高校生が
実は散財家だったとして問題になっている。
エアコンは買えないけれどグルメランチに通い
キャラクターグッズを爆買い
それをSNSで御丁寧にアップしてたから足がついた。
また、その周辺に政治色がぷんぷんだったから
おさまらない。
糾弾とは別に擁護派も出てきて
それぞれの正論を喚いている。
ことの本質はそこではない気がしますけどねえ。
論点がどんどんズレていくわけだ。
先週だったかお坊さんが選ぶ
仏教的な歌謡曲名選集てなのをやっていた。
多少コジツケみたいなのもあったけど
なかなか面白かったですよ。
ひとえには作詞家が知らず知らず仏教的な
日本文化の環境で育ってたことと受け手のスタンス
マーケティングにその謎の鍵はあるのかな。
そのなかで植木等がクローズアップされていた。
そこでスーダラ節と共に披露されたのが
「だまって俺について来い」
♪銭のないやつぁ 俺んとこへこい
俺もないけど 心配すんな?
仏教的は別として
なんか一時代前のおおらかな
日本人と日本社会を感じた。
作詞はご存知青島幸男。
1964年の東宝映画『ホラ吹き太閤記』の主題歌とか。
わたしは当時5才だったわけだ。
わたしら世代は完全にドリフト世代で
クレージーキャッツのお笑いがすすけて感じてた。
だからドリフの全員集合から一時
クレージーキャッツの出発進行に代わったときは
大ブーイングだったものです。
もっといえばゲバゲバのハナ肇は容認できても
植木等のノリがさっぱりわからなかった。
この点が団塊世代との大きな違いで
よく無責任時代の植木等を絶賛されても
愛想笑いはどこか戸惑って強張っていたはずです。
それがここにきて妙に沁みるのだ。
♪わかっちゃいるけどやめられない。
仏教的というのもあるけれど
正論ばっかりで角突き合わせている現代
なーんか世知がないよねえ。
♪銭のないやつぁ 俺んとこへこい
俺もないけど 心配すんな?
無責任一代男の大風呂敷ではあるけれど
こういうのを受け入れられる社会があったわけだ。
いまだったらもう大変だ。
「ニッポン死ね」 はい、それま~でえよ。
貧困の尺度はどこで測るのか?
エンゲル係数か
であれば、問題の女子高生はセーフじゃないか。
グッズの爆買も慢性貧困の刹那的行動であり、病の症状かも。
数千円の散財はできても
数万円のパソコンやエアコンは買えない。
ではいくらあったら満たされその貧困連鎖から
逃れられるのだろう。
憤ってる人達はこんな馬鹿娘よりも
もっと切実に困窮してる人達を救済したいと考える。
これじゃあ生活保護の不正受給者じゃないかと。
現実問題としては金だというけれど
わたしにはそうは思えない。
その手段で解決させようとしたときの
費用対効果、で結果は解決するどころか
すべて破綻してしまう発想じゃないのかな。
そういった現実的という正論は
根本から間違っている。
格差社会というけれど
その底辺にある人達とその中核を構成してる人達には
もっと深い断層がある。
そういうもの銭の箱船で導こうとしても
奈落の底に轟沈じゃないのかね。
♪銭のないやつぁ 俺んとこへこい
俺もないけど 心配すんな?
そういう社会の復権復興こそが大事じゃないのかなあ
「じゃあ具体的にどうすんのよ」
ベーシックインカムしか
ないんじゃないの。