あかんたれブルース

継続はチカラかな

究極の「障害者ファション」で困った馬太郎

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 「繊研新聞」とかいう業界紙があってですね。
 実際には私もよくは知らないのですが、たまたま仕事の絡みで、そこの編集長から
 イギリスのファッション誌に掲載された記事を拝見する機会がありました。
 そのテーマというか問題の特集は「障害者ファンション」
 これを見て、私は考えてしまいました。

 私はグラフィックデザイナーを生業としています。(いました。かな?微妙)
 これからの発言はプロとしてのスタンスも加味していることを御理解ください。
 なぜか複写したデュープのアザポジが数枚残っていたので掲載します。
 本当はもっと過激なモノもあったのですが、いまは残念ながらこれだけしかありません。
 (日本で掲載する場合に過激なモノは厳禁という掟あり)

 最初は雑誌の表紙。交通事故で両足を失った元ファッションモデルです。
 よく見ないと何がなんだか分からないほど自然です。
 
 2枚目は特集扉でしょうね。目が見えないからこれで不自由はないでのでしょう。
 障害を強調させる効果もあるのか?それを気にすることが無意味なのか
 石岡英子とかコッポラの映画に出てきそうなほど美しい。でも高そう

 3枚目、、、。確かにパリコレでもこんな服だれがどこで着るんじゃい!と
 ツッコミを入れたくなりますが、これじゃ被写体はオブジェとか素材というか、、、。
 右の男性は下半身がないんでしょう。かといって逆立ちを続ける訳にはいかない。とか

 確かに美しい。素敵だ。
 しかし、これはファンションなのか?
 アーティスティックなビジュアルシチュエーションなのか?
 まあ、写真ですから、そのなかの世界という表現ではあるのだけれど、
 障害者プロレスにはなんの異議なし!満場一致(私的に)の賛成を提示できたのですが、
 これに関していえば微妙、、、。私自身が頑迷なの?(結構イケイケなのですが)
 まあ、デザイナーとして、綺麗だったらそれでいいのでしょうが、
 伝えるというクリエイターの立場からすると、永遠の愛を語るより厄介です。