あかんたれブルース

継続はチカラかな

異世界はすでに常識

19世紀末、量子力学の発展から

古典物理学のどデカい壁をぶち壊し

科学は飛躍的に発展しました。

なかでもこれまで非現実的と笑われた

心霊やパラレルワールドの存在さえ

認められつつあり研究されています。

 


この量子力学のヒントになったのが

なんと中国最古の古典『易経』だった。

これは第一次大戦

ドイツが租借地(半植民地)してた

中国三東半島・青島から

宣教師が『易経』を欧州に持ち帰り

印刷され紹介されたことによります。

因みにコンピューターの二進法(0と1)は

易経の陰陽思想から生まれましたが

量子コンピューターになると「もつれ」を

利用して0と1の重ね合わせることから

物凄くスピードアップする。

これが量子コンピューターの凄さ。

どんだけ早いかというと光より速い。

だからテレポーテーションと表現するほど

これから量子コンピューターやAIは

画期的な進歩を遂げ

アインシュタインの光の速さを超え

ホーキンズ博士のAI警告メッセージと

なるわけですね。

 


同時に時間や次元の概念も変化して

11次元や無限のパラレルワールドの存在も

言及されてきました。

あくまでも、科学的な観点からですよ。

 


そんなわけで

輪廻やタイムリープ異世界ものは

まどマギ』だけではなく

エヴァ』でも『君の名は。』でもなんでも

娯楽コンセプトの定番となっていたんですね。

 


その上で、前々回?紹介した

「死後の世界」前中後編で

善悪の否定論無意味説に大きく疑問です。

自己責任で悪徳悪行犯罪勝手すき放題への

異論を綴っていこうかな。

そうは問屋が卸さない

と、このタイミングに

YouTubeの2ちゃん動画で

『死後の世界を解説するよ』が

アップされてました。

2013年の2ちゃんスレを編集したものです。


不滅の魂と時間に対する定義

輪廻転生、並行世界なんかを軸に展開され

前中後編からなる大作じゃ。


前編から6割ぐらいは納得できたけど

中後編まで視聴して

やっぱり4割理解できない納得できなかった。

特に後編はスピリチュアルと陰謀論が絡み

どうも無理がある。

かといってすべてを否定することもないかな。

2013年の投稿主は性急にまとめ過ぎた感じ。

あと、2012年のマヤ暦の停止から

人類の覚醒がはじまり出したと

意気込んでましたが

まあ、ここ10年。。

世界も日本も人類全般、劣化はしてても

覚醒の兆候も香りさえありません。

 


ネットの普及から既存メディアの堕落

と、同時に受けてのリテラシー脆弱性

左派の鼻息と保守の分断

わけわかめの多様性

これって日本だけじゃなく

ロシアもウクライナも米国も中国も

カナダもドイツも先進国から途上国まで

みーんなおかしい限り。

私達のソウルジェムは濁り切ってボロボロ

こんな現状で

10年前から魂の覚醒がはじまってる?

と言えるのか!

とまずツッコミが入るでしょう。

 


光の世界から闇(影)を作って

この世界(宇宙)を創った。うんうん

といいながら話をすすめていって

この世界に善悪はないと言い切ってしまう。

いや、ロシアがいいとかウクライナが悪い

その逆でもない。そういうことじゃなく

どちらにも善悪はある。

だから加害者と被害者は双方納得確認の上で

事件は起こってる説は無理スジだ。

光市母子殺人事件の被害者遺族に説けるか!

単純にそんなんじゃダメだよ。

そのミスリードは危険だ。

そのくせ自殺は良くないという。これも?

 

 

光あるところに影がある

とサスケはいった。

時間の概念はなくとも

陰陽があるならば善悪もある。

これが最低限の理、だ。UQ

公孫瓚アウト!

てなわけで、だからといって

別に前世の記憶を云々いう人たちを

みーんなインチキ勘違い

というつもりはないんです。

そういうの嫌いじゃない。

ただ、むかし、横尾忠則が電波系の本を出した

その一説に登場したある人物が

自分の前世を三国志の登場人物であるし、

それが「公孫瓚」であると。

それから眉唾になってしまいました。

つまり、公孫瓚ってチョイスが

あまりにもチープでイージーだったから。

モーニングならトーストとゆで卵だけ

ランチならハンバーグ定食

コーヒーは付きますよ。

晩酌絶対なら中生と枝豆と焼き鳥

東映なら大木実みたいな感じです。

このとき正史にも出てるコアな人物なら

私もコロッといったかも。

公孫瓚はないよなあ^ - ^。

ま、言った当人も曹操とか諸葛亮とは

いえなくて一捻りしたんでしょうが

捻りが足りませんでしたね。

それが記憶の断片浮遊霊であったとしても

公孫瓚はアウトです。

前世記憶や憑依はどーなるの?

輪廻転生と永劫回帰について

語っていますが、ここで

永劫回帰がありならば

前世の記憶のある人たちの話

あれをどう解釈したらいいのかなあ?と

それが本当なら永劫回帰はナシなのか。。

とするには短絡的かなあ

ということで、憑依の話。

 

最近、東大病院の緊急医療の医師さんが

憑依の存在を独白する動画を配信されてた。

何かに憑かれて自殺事故で運ばれてきた

患者(死亡者)の実例処置体験をもとに

語っておられました。

要は何者かに憑かれて強行におよぶ

ケースが多々あるのでは、ということでした。


 躁鬱病の方が自殺にはしってしまうのは

 躁に転換したとき(抗うつ剤の影響も)

 といわれてます。


何かに憑かれたときに躁状態になったかして

そのような情動に駆られた。のではと。

 


話が本筋から外れそうなので戻せば

現世の記憶は浮遊霊のようなもので

それが一時的か継続的かは個人差として

憑依した、って事でどうでしょうかね。

 


本来の自分を制御不能にしちゃうことから

最悪の事態に発展してしまうこともある。

 根本敬村崎百郎『電波系』参照

 


しかし、魂の存在を認めて

そこに輪廻転生や永劫回帰を語るとしたら

その浮遊霊って?


考えますに、それって魂の本体ではなく

残像のようなものではないのかと

情念のような断片的なもの


人間が肉体的精神的に弱っているとき

笑ゥせぇるすまん』的にいえば

心に隙間があるときに

(もしくは体質環境もあるでしょうが)

そういうのが憑依してしまうのですかね。

逆にいうと宗教的に苦行をやられて

悟りをひらくとかもある種の憑依なのかも

その良し悪しは別としてですよ。


ま、そういうわけでとりあえず

前世記憶や憑依があったとしても

輪廻転生や永劫回帰を否定(矛盾)するには

至らないのではと思うところです。

永劫回帰の絶望と希望

もう10年以上前の話になるかな

ブログやりはじめた頃の知り合いで

Aさんという方がいました。

彼は自分より一歳年長で

親から家業を継いだ二代目社長で

なに不自由ないハイソな方だった。

そういう趣味趣向を公開しては

周囲から羨ましがられていました。

その人がなんでなのか私に懐いてとか

絡んでとかしてきて

正直なとこ鬱陶しさもあったのですが、

ある晩、彼から内緒コメがあった。

彼には三人の娘さんがいることは知っていた。

その末娘だったのかな

重い障害を抱えて生まれてきたとあった。

そのため出産すぐの新生児に

手術を余儀なくされたんだそうです。

障害は目です。

医師からその手術の説明をされたとき

あまりの過酷さに彼は呆然、

彼の妻は卒倒した。

 


手術は成功したようです。

 


しかし、障害は残り、そして

痛々しい傷跡も残っているのだそうです。

 


可愛い愛娘をみるたびに

彼は心を痛めている。

たえられないと。

 

一見なに不自由なく幸せそうにみえて

世の中、人それぞれ、いろいろですよねえ。

 


そんな彼が私に助けてを求める。

 


困惑しましたよ。

 


慰める言葉も出てこない。

というか慰めていいのかどうかさえ

なんて返信したものか

 


 

 人が生まれて一生を終える。

 再生して輪廻転生を繰り替えして往く。

 その中の人生にはそれぞれステージがあって

 課題が課せられていている。

 それをクリアできたら

 次に生まれ変わったときワンランク上の

 次のステージへ進む。

 各ステージの課題をクリアできなかったら

 もう一度やり直し。

 どんどんステージが上がったら

 最終的に浄化されて天界に招かれる。

 ただし、ステージが上がるほど

 与えられる課題は過酷になっていく。

 これが輪廻転生の理ではないかと。

 

 

 

思いつきいいかげんに返信したわけではなく

それまで漠然と考えていた生死観に

なんとかAさんの慰めにならないかと

文章にまとめて返信しました。

 


彼はこのアイデアをいたく気に入ってくれた。

よかった。と胸を撫で下ろした。

しかし、彼はもっと知りたいとせがんできた。

 


私はそれ以上のことをこたえられない。

 


そう正直に伝えた。

 


がっかりさせたかもしれません。

それから徐々に疎遠になっていき


二年後、彼は洗礼を受けるいって

ブログを卒業していきました。

 

 

 

先日、後輩の与太を聞いてときに

Aさんの話にからめて

まどマギの円環の理から

ニーチェ永劫回帰の話をした。

 


 輪廻転生はあるけれど

 同じ人間として未来永劫生まれ変わる

 だけ。

 


このある意味途方もない絶望というか

救いというか受け取り方は人それぞれな

イデア

なぜか後輩は気持ちを高揚させてた。

 


Aさんにもそういえればよかったかなあ

と思ったけど

やっぱり言えない と、思った。

阿修羅とルシファーの化身

まどマギ』劇場版前後編『叛逆の物語』を

2回づつ鑑賞したのに

この壮大で緻密なストーリーを

イマイチ理解できてないものです(^◇^;)。


このまどマギの世界、魔法少女たちは

(ある意味暁美ほむらが中心にかな)

転生輪廻と並行世界のなかで語られている。

YouTubeの動画解説によれば

この作品の世界観には

キリスト教ユダヤ教ゾロアスター教の影響があると。


転生輪廻はインド哲学バラモン教、仏教に

影響を与えました。

人間は生まれ変わり現世の行い、業により

来世のステージが異なるのだと。

つまり、その因果において、人間→人間

とはならない。人間から

→畜生 →虫ケラ →プランクトン もあり

こういった輪廻観をそのまま

手塚治虫の『火の鳥』では解説してました。

対して

まどマギでは同人間の無限ループのようです。

現在からの無限ねずみ講ですね。

暁美ほむらはその世界線のなかで

繰り返し繰り返し鹿目まどかを救おうとする。

これって輪廻転生というより

ニーチェの「永劫回帰」ですね。


Magica Quartet

新房昭之虚淵玄蒼樹うめ、シャフト)

による

まどマギのコンセプト世界観には

ゾロアスター教ユダヤ教キリスト教にプラス

ニーチェが深く関わっている。


古代宗教ゾロアスター教は二元論です。

善と悪、光と闇、神と悪魔。。。

まどマギの高揚は

愛するまどかを救うためにほむらが悪魔となり

神となったまどかと対決する

なのかな?という展開ですよね。萌えるわ

で、ここでほむらのまどかに対する愛に

執着と独占がある点から

それが、どんな純愛であっても

「煩悩」とされてしまうんですよね。

ここんところが

主人公で、神になった鹿目まどか

まったく感情移入できないぶん

こんな馬鹿娘のために悪魔に貶められても

健気に一途にその愛で救おうとする

暁美ほむらにきゅんきゅんしてしまうのです。

 


まあ最新作『ワルプルギスの廻天』での展開

から暁美ほむらの安否を祈り願うだけですが

その希望のヒントに

ニーチェの「神は死んだ!」が

一筋の糸口になりそうです。

残念な人

まどマギ』が凄い!とはいったものの

作品自体を十分理解しているかというと。。

自信がありません(^◇^;)

実は、ジブリ作品も

最近岡田斗司夫の解説で

ナウシカは、もののけ姫は、てな具合で

アニメって奥が深いもんだなあと感心してました。

まあ昭和30年代生まれですから

アニメにも親しみはあるほうだと思うのですが、

ガンダムを観てなかったしエヴァンを知らない。

もう社会人だったし忙しかったしね。

いまさらなあというのもあって

それぐらいの認識です。

ドラえもんは息子の影響で観た。

鬼滅は肌にあわなくて途中で挫折。


だからジブリ作品の岡田斗司夫の解説を聞いて

なるほどなあと考えさせられたのと同時に

なんか自分って

ウスラポカンとなんとなく観てたんだなあと

情けなくなった。ちょっとだけね。


で、圧倒的に原作脚本が凄い!と認めつつ

まどマギ』『叛逆の物語』も

物語をちゃんと理解できているのか

となると自信ない。

なーんとなく犬カレーの世界観と

梶浦さんの音楽に圧倒されて

ストーリー自体は大雑把に

ほむらちゅん可哀想(T ^ T)と

感情に流されて観てた、かもです。

2回づつ観たんですけどね。

後からYouTubeの解説謎解き推理動画で

ああなるほどねと。

それはそれで面白いんですが。


いまでも実は正直なところ

円環の理に絡んだ魔法少女たちの物語を

十分に理解できているとはいえない。

まあ、そこまで理詰めで納得しないと

作品観れないのかと思うし

逆にそう思ってしまう自分の性格に

ガサツで曖昧で詰めの甘さを感じてしまう。

マニアックとかオタクとかこだわりとか

そういうを持てない人なのかなあと

ちょっと残念にも思いました。

 

「だからオンナの気持ちわからないのよ!」

 

なんか幻聴が。。。

 

 

そういうの僕だけじゃないよね。

と思いたい。