杉山茂丸伝・勝手に(2)それとも(3)だったかな?
この写真は若き杉山茂丸のポートレートです。
出で立ちは新聞売り子。明治17年21歳の頃だとか。
翌年に前説の(といっても随分間が空きましたが)伊藤博文暗殺未遂事件となります。
上京して生活のためとはいえ、杉山はこうやって糊口を凌いでいたのですね。
今でいえばパチンコ屋のテッシュ配りかヤフーBBのキット配りか携帯電話の加入の呼び込み。
本人は自らを「伏龍」として「風雲を狙う」としていましたが。
杉山が狙ったのが時の総理大臣・伊藤博文だったわけですね。まったく危険人物です。
杉山が伊藤を狙った動機はこの新聞というマスコミの煽動にほかありません。
いつの時代もマスコミなんて代物は批判することに意義があり部数を伸ばすと信じられています。
実際に購読者がそうなのですから、、、そうなんでしょう。性善説か性悪説か。ですね。
杉山青年の福岡で「西日本スポーツ」を読んだか「福岡日刊ゲンダイ」だったか
「悪の根元!伊藤博文」の記事で舞い上がり「一人一殺」となります。
門地も閥も無く、鬱屈した青雲の夢は無力な青年と時の宰相との生命を秤にかけたのです。
金と力が無いのは色男だけではなく、若者の専売特許でしょうか。
ところが、明治という時代は面白い人物たちの全員集合時代でもあり、
伊藤博文はこの突破者にどう因果を含めたのか「一人一殺」から
「一人一党」に衣替えさせていまいます。
まるで、勝海舟を暗殺しようとした竜馬が勝の弟子になるような感じですね。
多分、杉山の血のめぐりがよかったのでしょうが、
瞬時にこの日本の切羽詰まった状況と矛盾を悟り、マスコミの虚構を喝破したのでは、
と私は想像するのです。
また、それを杉山に伝えられた伊藤の人間力にも喝采を惜しみません。
女狂いだなんだと揶揄されますが、伊藤の生涯を右から左から上から下から考察すれば、
彼が第一級の政治家で指導者であったことは間違いありません。
旧千円札のお札の政府御用達の偉人と馬鹿にしてはいけませんよね。
杉山はこれより快刀乱麻の行動を「一人一党」で敢行していきます。
その生涯を通じて、常に伊藤博文を表舞台に引きずりだそうとしました。
それは後の盟友・児玉源太郎も同じで、二人の盟約にそれは表されています。
彼らは伊藤博文を認めていた。
そして、同郷の巨人・頭山満との出会いはもうすぐです。
頭山も杉山同様に同じ東京の空の下で貧乏というドデカイ漬け物石でこれまた伏龍状態でした。
つづく