人間の喜怒哀楽。
哀なんていらない。怒もノーサンキュー。
篩いにかけて喜と楽だったら、、、。
水戸黄門の主題曲も「♪人生~楽ッだらけ~っ」と、くらあ。(酔っぱらいか)
心と体を苛み悩ませる智慧を妨げる感情を「煩悩」といいます。
宗派によっては169とか128とか8万4000というものもあります。
嘘は800。これは関係ないですね。数は関係ありません。(なんじゃそりゃ)
仏教はこれを悪と考えるようですが日本人は懐の深い民族で、
それはそれ、という応用の才を発揮しているようです。
私の故郷とか、西日本とかでもそうでしょうかね。
子供を可愛がったり慈しんだりすることを「煩悩じゃのう」と表現したりします。
とてつもない悪ガキだった三代目山口組の大幹部・菅谷政雄の幼少の渾名も「ボンノ」。
ストイックなくせに、いい加減なキリスト教と、この国のいい加減さの違いに刮目すべし。
一喜一憂することに反省ばかりしてもしょうがありません。
嬉しい時は素直に喜ぶ。怒るべき時には筋を通して怒る。
哀しい時には泣く。楽しむ時は泣く。これも人間の筋目というものです。
我慢しても明日の涙は誰にも回避はできませんし、予測はできません。
どこかで、それを回避するために喜びを隠そうと努力しても効果なし。
喜怒哀楽は人間の生きている証しです。
その心臓は常に鼓動しては萎んで膨らむ。そのときに微かな痛みをともないます。
生きていること自体が痛みをともなっているのようです。
その痛みが喜怒哀楽の痛点を刺激します。
その喜怒哀楽を無理に押さえることはありませんよ。そんなこと「天」は望んでいません。
そんなこと、もし言ったら無責任な事!言うなとトッチメテやりましょう。
実は先日、ディズニーランドで売店の店員と揉めました。
これを書こうと思ったのですが枕が長すぎたなあ。また、今度。