あかんたれブルース

継続はチカラかな

名もなき愛のメモリー

相変わらず倦怠感は連チャン継続中。
特にどこが痛いというわけではないのですが、
非常にしんどくてつらい。
徳光さんが高齢自虐ネタで一日3つ忘れていくと
笑わせてくれていましたが
こう毎日ボーッとしてると変なことを思い出す。
そのなかのひとつ
あれは小学校2年生のとき
クラスの女子が何かで担任にひどく叱られた。
普段は地味で目立たない女の子だったのに
それが彼女にとってはとても理不尽だったようで
大きな声を出して担任に抗弁し、叩かれ、泣いた。
そしたら反省どころか学校を飛び出してしまいました。
あの当時、小学2年で、しかも女子が
担任に逆らって学校から遁走するなんて、有り得ない
ショッキングな出来事だった。

担任もたぶん狼狽したんでしょう。
クラスから4、5人の説得捜索隊が編成された。
のなかに私も入っいました。
大して親しくもなく彼女の家も知らない私が
この第一次捜索隊に入っていたかは謎です。

捜索ていっても彼女の自宅で案の定そこにいました。
学校からそう遠くない市営墓地の近くです。
いまでは宅地に整備されていますが
当時は市内にあってのどかな田園風景のなかに
彼女の家はあった。
両親は不在で彼女の祖父が不機嫌に
藁を束ねていて、その背後に小さな反逆児がいた。
私たちはそれぞれに彼女を説得しましたが
彼女を納得させるには至らず、
爺さんの一喝でガキの使いよろしく帰還です。

第二次説得隊には担任とクラス全員が動員された。

私たちが遠巻きにするなか
担任と古老の対決・・といってその中身は覚えてない。
ただ、爺さをが担任教師に向かって
「ウチでは納得いかない場合はトコトンやれ、
 と教えている」と毅然と言いはなった、のが
とても印象的で50年以上も私の記憶に残ってた訳かな。

あの当時の教師は、いまと違い
師範大出の偉い人でした。畏敬の存在。
私らはその手先だったわけだ。
それをこの爺さんはと、子供ながらに感心したのだ。

ま、納得したかは別に、彼女は教室に帰った。
たぶん祖父の存在が背中を押したんだと思う。
彼女とは中学校まで一緒でしたが
特に目立っこともなく、また私もそれ以降の
接点も会話の記憶もありません。

さっき、この記憶が不意に過りましてね
同時に、あの爺さんはもう死んでしまったんだなあ
と重ねて思い、
その葬式で彼女はきっと泣いただろう思ったら
泣けてきた。

この世のすべてを敵にしても
わたしをまもってくれた人
かばてくれた人