あかんたれブルース

継続はチカラかな

苦情コメント

 昨日、朝起きて、ブログをチェックしたら
 お気に入りに入っている「●●さん」から内緒モードでコメント有り。

 

 馬さん、●●の馬さんに対する印象を吐露しておきます。まず、断わっておきたいのは、こうして内緒で投稿した書いた物を再度「ブログネタに転用するのは無用」にして下さい。
馬太郎さんの胸三寸でとどめおき下さい。多くのブロガ-でなく、馬さん個人に当てた「親展」ですから。
以下、
(1)御ブログに●●がコメントした「○○○に関する」一部が、いつぞや御ブログネタに使われていました。導かれた趣旨は●●の趣旨とは微妙に異なったものになっておりました。コメントを一部借用し、別のまとめをするのに「断わり」は必要ないのでしょうか? 仁義として。
(2)▲さんのところで、貴殿の自己紹介として「●●さんのともだちです」と記載。●●の「友だち」観は少し異なりますが、概念はひとそれぞれ、どのようにお使いになっても自由だと思います、が、そのことよりも、不快に思うのは「誰かの(何かの)肩ごしから物を言う」貴殿の心根です。こうした姿勢の高論、卓説は興醒めしてしまいます。モラル論、人格論を云々する気もない(人様のことを云々するほど高潔な人間でない)ので、●●個人の心情として「不快である」とだけ表明ておきます。聡明なあなたのことだから万事御了解願えることと信じます。以上。



 ●●さん、残念ながら、私は聡明ではありません。

 これが私の返答です。

1)私に対する不快は理解しました。
コメントをネタにしたこと。それに断りを入れなかったこと。お詫びします。
内容的に軽くてコメディータッチなものとの認識から、
その必要を感じなかったのは私の甘さです。以後、気をつけます。
仁義という言葉を使われていますので、私も二、三語らせてください。
非常に疑問に感じるですが、3カ月前の記事を確認しました。
私はあなたのコメントを借用して記事を展開しましたが、
それを悪意に主旨と異なった導きかたをしたとは解せません。
感じ方は人それぞれですけれども。。。解せない。
みんな楽しんでいましたよ。
あなた自身が拍手喝采アバターでコメントを入れているが、これはなにですか?
お世辞ですか?自ら異を唱える記事になぜこのようなコメントをいれるのか?
また、本気でそれが不快ならなぜその時もの申さない。

2)なにか違う理由じゃないですか?それ以降もお付き合いしてたと記憶します。
じゃ(2)か。
しかし、「おともだち」って言葉を使った云々を指摘されてもね。
ともだちじゃなかったの?ショックですね。傷つきました。謀ってましたか?
だったらなぜお気に入り登録したり、私の記事にコメントするのですか?
嫌々で無理していた?そういうのは体に良くないですよ。
その▲さんとはそれ以前に別のブログで知り合っていました。
お声を頂いたのはその方からです。たまたまそこにあなたがいらっしゃった。
私はあなたを信頼していたので。そう表現しました。そんなに不快でしたか?
私の判断では1)の仁義を欠いた点で2割の非を認めますが、それ意外がダメです。
その2割も状況証拠からだいぶ怪しい。でも梅雨入りなのでサービスです。
「「誰かの(何かの)肩ごしから物を言う」貴殿の心根です。」と言われてもねえ。
失礼ないいかただなあ。としか感じません。
私はブログ開設一年ほどですが、640本の記事を通してそんなことはしていません。


3)また、そちらにコメントした心惹かれる文章の件は▲さんではありません。
該当者を御挨拶に伺わせてもかまいませんが。相手のあることだし。
また▲さんも以上の事は認識していますから、御意見をうかがってみましょう。
私は不覚にもあなたのその記事が素敵だったので、ああいう表現を用い、
あなたもそれを誉めてくれたではないですか。それは(1)(2)の後です。
そのとき既に不快だったのですか?
とにかく、そんなに不快なら早くお気に入り登録はずしたらどうです。
そしたら筋として私も外しますよ。
私も同様なことはありましたが、その段階でコメントでその主旨を表明しています。
それで理解してくれる人ならそれでもいいし、そうでないなら「来るな」といいます。
なんにしても言ってる主旨が納得できませんね。詭弁というものです。
時間軸とあなたの対応に大きな矛盾を感じます。
これは「断り」ですよ。はやく登録はずしなさい。
これが私の仁義です。


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 親展とあったので、なんだろう! とワクワクして読んだらガッカリでした。

 昨日はこの件で、それ以外の私がコメントを借用した方々にリサーチして、
 感想を聞いたりしていました。今後のこともあったので。

 結論として、私のこれまでのスタイルを変えることはありません。

 額面通り、このままです。


 ブログやネットというものは「言葉」が頼りです。
 私は、その言葉を大切にしようと思いました。それは以前からお伝えしています。

 文字(文章)や言葉というものは難しいと、よく聞きます。
 
 それでも、「これ」は私たち人間が用いる最大限のコミュニケーションツールです。

 ブログを始めた頃は、その存在に懐疑的でした。
 けれども、やがて、現実社会とは違う「素直」な交流というものを実感しました。
 使い方によって、素晴らしい道具に成り得ると。
 
 私のゲストブックには現在416の投稿があり、
 その半数近く、若しくは半数以上が内緒メッセージです。(ほとんどかも)
 オープンにできない事情や思いを、そうやって送ってもらえる事に
 自分の存在意義や信頼関係を感じて、私はうれしく思います。

 特定できなブログという世界で信頼関係など結べるのか。
 という声もあります。

 私は、その言葉に誠や思いやりや本当の優しさがあればできる。と確信します。
 だからこそ、自由を無責任に取り違えるのは危険だと思っています。

 私は決して聡明でもなく、達観には程遠い人間です。
 みなさまも御存知だと思いますが、ドラスティックな人間ですよね。
 私はいい人であろうとは望まない。
 
 私は言葉も行動も偽らない生き方を求めます。
 なかなか大変ですが努力したいと誓いました。
 言葉というものに、ある志を託しました。
 もう腹は出来ています。


 1)2)3)は昨日の午前中に返答として書いたものです。
 これを「どこ」に入れるかを悩みました。
 また、●●さんが内緒モードを使用したのは私のためでなく、自分のためなので
 色々考えましたが、こういう形が最善かと思いました。
 勿論、そのなかにはスルーする選択肢もありましたよ。
 本当は言葉というものを軽んじている態度に腹が立ったというのもありますかね。
 「親展」という表現も引っかかりました。
 こういう文章を慇懃無礼というんだろうなあ。
 すべてが自分を守ることに集約されている。文章をなめている。

 ●●さんの願いは把握しましたが、私はそれを却下することにしました。


 ブログをやっているなかで色々なアクシデントやトラブルもあるでしょう。
 そのためナーバスになったり、閉鎖させているケースは多い。
 また、個人情報も拡大解釈されているようです。
 今回の件はその対処法のひとつの凡例としてください。馬はああやっていたなと。

 ここは私のブログなので私のルールでいきます。

 提示された文面(私のミス)やこの行為に批判もあるとは思います。
 これが私の責任の取り方だと私は考えました。
 これからもこういった責任の取り方で往きます。
 だから、なにか気付いたこととかあったら気軽にコメントで教えてね。
 改行しろ。読みにくい。だの、難しいだの。結構、抗議はあります。実際(涙)
 だけど信頼関係の証だ! できるところから少しずつやっていきます。