謝辞が罪を認める事という認識はアメリカ人と中国人に強いそうです。
前者は開拓精神から生まれた自己主張として、
後者は他地域で働く環境で解雇されないための方策として、
どちらも淋しく悲しい身に付いた性となってしまいました。
では、己の非を認めたり素直だったり正直だったりすることは実社会でマイナスなのでしょうか?
戦後、保守政党が吉田茂の自由党と鳩山一郎の民主党で激しく対立していた頃、
三木武吉という政治家がいました。
彼は鳩山一郎の軍師として、希代の策士として、吉田自由党に対抗した超一流の政治家でした。
「精神誠意嘘をつく」これが三木武吉の姿勢です。
そして、演説の天才。
彼を語るうえでこの演説の逸話が有名です。
ある演説会で三木の名調子の真っ最中に反対陣営支持者から野次が飛びます。
「妾を6人も連れてきた男に何が言えるか!」
もし、あなたがこれが事実だとして、武吉の立場だったらどうします?
スルーする? 弁明? 事実無根と強弁? 名誉毀損で訴える? 頑なになる?
武吉の場合は少しも慌てず、その発言者に向かって、こう言いました。
「只今、私に妾が6人という御指摘がありました。
それは間違いだ! (あっ、やっぱり否定するんだ。なあんだ)
正確には7人です。 (ええっ? そんな(汗))
私は一度関係ができた女性を捨てるような人情のないことはできない。
それで悪いのなら、一票もいらない。」
ブ、ブ、ブラビー! 感動(涙)。
私だけじゃないよ。聴衆も満場一致だ。拍手喝采。
これを開き直り。だとか、腹芸だとか、揶揄すること簡単だけれども、
実際に、高齢になった愛人を7人も囲っていたのは事実のようです。
こういった、機転や機知、お茶目で人情家で真っ直ぐな政治家って今はいませんよね。
なんかすべて聖人君主を求める風潮です。今は。
だからこういった度量のある人物が育たないのかもしれません。
一流の策士というのは策を弄する者ではない。
その状況に応じて臨機応変に策を繰り出すものだといわれます。
三木武吉は、初めて鳩山一郎と出会った時に、その人柄に惚れ込んで、
「鳩山を首相にして、自分は衆議院議長になる」と決意したそうです。
結構、純情な人なんですよね。他にもたくさん素敵な逸話有り。
三木武吉、鳩山内閣成立の功労者。そして、自由民主党結成の影の立役者。
肝の据わった超一流の人物でした。(完)
あっ、妾の善し悪しの話じゃないですからね(汗)。
因みに妾の数は三人、五人、七人と文献出典によって様々、
多分、時間の進行によるものかと(汗)。
(東映『吉田学校』では若山富三郎が演じています。尚、三木武夫と間違わないでね(汗))