ビジネスのなかで見積もりや事業計画など予想の範疇にある予算の算出は厄介なものです。
その事業や企画を現実に移す場合のハウマッチ。
その失敗か成功がここにかかってくる。目的の第一は成功にある。
が、不景気もあって、
ここにコストパフォーマンスという二次的な要素が大きな脅威となってきました。
これも時代環境なのでしょうね。
効率化という観点からは別段問題はありません。まさに、企業努力。
ただし、ある一線を越えなければ。
成功することを第一としないで、安く見積もることを第一とする。
担当者の苦悩は腕の見せ所に変貌していく。会社がそれを望んでますから。
でも、それが故に失敗したら、身も蓋も、元も子も、無い。本末転倒。
それでもこれまでいままでのビジネストレンドはそこにあった。
危機管理なんって建前で、本音は・・・。
日清戦争が終わった時に、大陸から沢山の兵士が復員してきます。
彼らは大陸で様々な病原菌に感染している。
これをこのまま帰還させてしまうと日本中に伝染病が蔓延して大変な厄災になる。
そこで、政府は大検疫事業を計画した。
政府側の責任者は陸軍の児玉源太郎(当時陸軍事務次官)
担当者に抜擢されたのが当時無名の後藤新平。
初対面の二人で交わされた最初の案件は「その予算」。
後藤新平は軍人なんて大嫌い。
どうせ、この児玉という男も権柄ずくで石頭で何も理解していないだろう。
まともな予算をここで提案しても削られるだけだ。
どうせ削られるならひとつ吹っかけてやれ。と、
「100万円!」
とやらかした。
すると私の愛する児玉は、
「では150万円あれば充分だろう。うまくやってくれ」
後藤はこの一言でしびれました。こんな軍人がいたのか!
別な資料では200万円というのもあったと思いますが、
兎に角、児玉はいつでも予算には余裕を持ってあたるスタイルでした。
結果は大成功です。
最終的な費用は120万円ほどだったそうです。
後藤新平のそれを大きく上回った。それでも児玉の提示額内で収まっている。
児玉最高!
このひとですよ。日本をロシアとの戦争で勝利に導いた張本人は。
児玉源太郎。ひとりの人間の力で勝ったといっても過言ではない。んだな。
予算をケチって失敗してしまったら本末転倒。
JALがその後どういった不祥事を起こして信用をなくしたか。
また、予算だけでなく無理な経営方針がどういう結果となったか
NOVAにコムスンなどなど。
とにかく目先のインチキで手酷い目にあってしまう。一発です。
あまりにもリスキー。
それを倫理観とかいっても絶対聞かないもん。
だから、脅すしかない。
そんなセコイ真似すると、取り返しがつかないことになりますよ。
その意味で、赤福も肉屋も白い恋人たちもみんな生け贄です。
ああいう風になりたくなかったら真面目にやれ。
従業員も大切にしろ〜お。チクルぞ〜お。
写真は後藤新平
その後、台湾経営で児玉とコンビを組んで民政長官。
逓信大臣とか東京の市長もやった人で
「大風呂敷」と渾名されました。
彼より児玉源太郎はひとまわり大きいんだな。ホント