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こころの王国(8)
お金がすべてじゃない。
それでも愛は貧乏に傷つき、豊かさのなかで愛は移ろいやすいものなのか。
それは別次元、別ステージのものなのかもね。
愛はデリケートですから。
豊かさは愛を育むために必要不可欠のはずなのに、
その豊かさが故に愛が傷ついてしまう場合も多いようです。
愛が植物なら裕福度00度〜貧しさ度00度までの条件があって、
栽培する者達はそこに「も」心を砕かないといけないのかも。
親が子供に対しての虐待や育児放棄は貧乏だけのせいにできない現実があります。
どんな劣悪な環境に育とうとも曲がらない者は曲がらないし、
どんな裕福な環境で育まれても曲がる者は曲がる。
これが現実であって、シビアなものです。
簡単に金持ち愛さん貧乏愛さんで振り分けできない現実。
『ALWAYS 三丁の夕日』の貧しさにはノスタルジックがあり、
『自虐の詩』には、それプラス持たないなりの強さがあります。
それはマンガで傍観者的であるのだけれど、うらやましさを隠せない。
それが時代なのか若さなのか幸江とイサオの愛なのか
他人の家の芝生なのか。
愛されていて、貧しい人がいるでしょうか?
オスカー・ワイルド『つまらない女』より