悶々と「易経」を学んでおります。
別に易者になるつもりはないのだが(汗)。
身を修めること。これがこの古典の核でもある。
正しい行い。そして、謙虚を諭しています。
前者に対して「?」を感じる人もいるでしょうが、
私は以前から心当たりがあって、割合これには抵抗がありません。が、
後者の謙虚っていうのが難しい(涙)。
どっちかっていうと芸人的で、ラジカルにドラスティックに
の人なので、謙虚っていうのが苦手(汗)。
そんなもん、建前だけじゃないのお?と懐疑も少々正直ありました。
反省します。努力しないと(涙)。
とは、別に、謙虚と差別化しておきたいことを
ここで吐き出してしまおう。と
よく人は幸せを願っているけれど、それ以上に不運を前提に考える癖がある。
宝くじを買っても「当たるわけない」と最初に思うようにしている。
待ち合わせや約束を破られる前提やなりゆきろ達観しようとする。
人を信じるよりも信じない姿勢が大人の考えだと戒めている。
こういうのが嫌いです。でも、わかる。
なぜなんだろう。
きっと、その破綻がその通りに的中した場合のショックを少しでも
やわらげようとしているか、
期待して有頂天になってるとしっぺ返しを喰らうことが多い経験的な統計学か、
運命の神様は天の邪鬼だから、そう考えたほうが願いが叶いやすいとか。。。
なんか切ない。
でもこれは謙虚とは違うようね。
また、人目を気にしたり、気後れしたりっていうのも謙虚とは違う。
確かに、いまの世の中、前に前にポジティブにアクティブにっていうのが
トレンドなんだけれど、
そういうのとは別に、謙虚っていうものを考えてみたいものです。
私は21歳の時にパトカーで下谷警察署に護送されました。
ええっ? それは検挙? ちぇっ、またしくじっちまった。
指紋も取られたよ。カツ丼は食べなかった。
なれるかな。。。こんなんで(汗)