あかんたれブルース

継続はチカラかな

うさぎも人も淋しいと死んでしまう。

 先日、夕方のニュース番組の特集で
 多重人格の患者さんを紹介していました。

 33歳の元看護士の女性で20人以上の人格と共存しているといいます。
 それ以外にも過食症リストカットなど心の障害の総合商社のようでした。
 未遂に終わった自殺も数え切れないといいます。

 3歳の少女が複数いて、時に出てきては幼児言葉を話し出す。

 原因は幼児期の父親からの虐待。

 その理不尽を受け入れられない彼女は、違う人格を生みだすことによって、
 その現実を客観視する手立てを選択したのだといいます。
 観てて、つらかった。

 あまりにも可哀想な選択。酷い話だ。

 ゴールデンウィークの各地のトピックスでは
 恒例の「赤ちゃんの泣き相撲」が紹介されて、思わず顔が綻びます。

 赤ん坊っていうのはたとえ他人の子でも可愛い。ましてや自分の子ならなおさら。

 3歳なんて、その可愛い盛りだと思うのですが、こういった虐待のニュースは後を絶えないし、
 それは今に始まったことでもないようです。

 核家族化という生活環境の変化や個人主義が共同体を希薄にして
 自由と尊重が無関心を生みだしてしまったところにも
 虐待の深刻化があるのかもしれませんね。

 親はなくとも子は育つ。なんて悲しい格言かとも思いますが、
 こんな親なら無いほうがマシって感じてしまう。

 「その子はあなたを親として選んで生まれてきたのですよ」

 この言葉さえも無力を感じてしまう。

 
 あるブログの記事に、戦争で孤児になった赤ちゃんがたくさんいた時代の話。

 どこの病院でもそんな赤ちゃんたちがたくさんいた。そして死んでいく。

 そのなかで、その死亡率が極端に低い病院があった。施設環境はどこも変わらないのに。

 なぜか?

 そこには一人の子供好きの看護婦(あえてこの名称を使用)さんがいらっしゃたとか。

 その看護婦さんは彼ら彼女らを抱いて語りかけます。言葉なんて通じない。
 愛で語りかけているんでしょうね。笑顔で愛を送る。
 子供は愛を必要としている。いや人間はすべて愛を欲する生き物だ。

 うさぎは淋しいと死んでしまう。という台詞のドラマがありましたが、
 うさぎだけでなく、人は淋しいと死んでしまいます。

 水よりも濃いという血の絆よりも、
 さびしそうな瞳をしている人に出逢ったらやさしくしてあげないといけません。

 それが情けというものであり、人間の本来の自然な摂理・本能。

 それを同情云々がどうだこうだとか、浪花節だと揶揄してはいけない。

 いい人でなくてもかまわない。知的でなくてもかまわない。

 煩悩でもお節介でいいじゃないか。


 多重人格障害の女性から生まれた3歳の女のコは声をひそめて囁きます。

 シーッ、お父ちゃんが痛いことするの。

 恐いよと語りかけてくる。


 つらいな。