あかんたれブルース

継続はチカラかな

保守って何? それも雰囲気?

戦争知らないミドル世代からの伝言(3)



日本が先の戦争突入した動機や理由や原因は色々あります。

一本に絞れば「石油」が欲しかった。

今と同じ状況ですね。だから恐い。

その一番の供給国である米国と戦ったわけです。のるかそるか一か八か

でもやっぱり「雰囲気」っていうのがクセモノです。

時代環境は「躁」と「鬱」を繰り返します。
土建国家ならぬ軍事産業国家はバブルを終焉させたくなかった。
軍人は自分の居場所とか存在価値を求めました。

宗教の影響もあったでしょう。
日蓮宗は多大な影響力をもっていました。
その予言にそって石原莞爾は「最終戦争」と満州国独立を画策し実行します。
しかし、一度動いた「雰囲気」の大きな歯車をこの天才はコントロールできません。
天才は天才でしょうけれど、少し貫目が足りなかったようです。

やってはいけない、中国へ攻め入ってしまった。

いつの時代にもマスコミはその雰囲気を嗅ぎ分け
迎合して煽っては拡大させていきます。言論の自由という大義名分で

私たちは雰囲気に弱い。

その前に、理論とか理性とか知性なんて無力です。

岡崎久彦という元外交官の論客がいます。
非常に優秀な頭脳の持ち主。と私は感服つかまつり候。
陸奥宗光の血筋をひく方ですが「保守」というレッテルを貼られている。

保守と革新というと、なぜか後者に魅力と正義を期待する。これも雰囲気です。

明治の頃に「自由民権」という言葉があって、藩閥政治に対抗しました。
「自由」は正義、藩閥は悪。そんな図式でイメージします。
まあ少しは当たっているけれど、民権派は利権を渇望する者たちでもあった。
必ずしも自由民権派が正義でもありません。

民権派は官権に対抗するために「暴力集団」を利用します。
農民とやくざがそれです。
日本は長く院外団をもって、議会の内と外で抗争を繰り返していた。

それに入れ替わったのが軍のエリートたち。
皇道派と統制派の対立です。そして暴走していく。

戦後、岡崎久彦が安保反対運動の活動家に対する質問の逸話があります。
「お前たちのような教育のある人間がどうしてああいうことをするんだ。
 大学に行っているインテリがどうして安保反対など言うんだ」

対して、「あの時の雰囲気がわからない人に話してもわかりませんよ」と返され

「雰囲気とは何だ。
 インテリたるものが理屈で説明できないことを『雰囲気がそうだったから』では説明にならないではないか」

と問い詰めた。

学生運動も雰囲気なのです。
世の中は「思い込みで動く」と言われます。
当時、学生運動に奔走した若者にとってそれは正義であったかもしれませんが、
「雰囲気」と知りつつ、流されていたことを証明するエピソードですよね。

明治の人物を考察して、素晴らしい! と感動する馬太郎。
けれども、そういった人物を右翼とか藩閥政治家とか成金とかエロ事師とか
必ずしも世間の評判はよろしくない。それも雰囲気でしょうか。

岡崎久彦は「保守」なのか?

ウィキペディアの人物評には「右より」「左より」という評価があります。
自虐の詩』の漫画家の業田良家は右だそうです。
宮崎駿は左だとして途中で右的発言をしたのでよくわからと(笑)。

それも情報なのかもしれませんが、分かりやすくするために
余計にわけが分からなくなってしまう。

司馬遼太郎を右と批判する者と左と石を投げる者。どっちだ!

とにかく決めつけて解釈したい。納得したい。稚拙だ。
これも雰囲気です。

恐いよ〜お。雰囲気。

女性は雰囲気に弱いそうです。

「君の瞳に乾杯」

またフラれてしまった。おかしいなあ・・・