あかんたれブルース

継続はチカラかな

仙人になりたいのか? 杜子春





私たちは性急に答えを求めがちです。

確かに、未熟な自分を認めるときに身悶えする思いに駆られる。
それで悩んだり落ち込んだり暗くなったりする経験は誰しもありますよね。

妖怪人間ベム、ベロ、ベラは「はやく人間になりた〜い」と叫びまいたが、
私たちも「はやく大人に」なりたかった(涙)。

かといって、「22才の別れ」を憧れてみましたが、
それを過ぎてもとんと大人になった気がしません。別れが足りないのか?

まあねえ、宗教心というものが希薄な民族ですから、それも影響しているのか。

宗教に奔る人もいます。創価学会は日本人の6人に1人。
さわらぬ髪にたたみいわし。

とは別に、東洋思想というものもあります。
といってもこれがまた煩雑で人生色々島倉千代子

儒家」もあれば、「墨家」もあり、対して「法家」の考えも一家を那須高原

道家」もあるし、もっと細かくいえば「名家」「農家」「陰陽家」「縦横家」などなど。

儒家」の「儒教」だって孔子から孟子荀子朱子王陽明などなど。

この「儒家」に対するのが「法家」としましたが、
儒家」を大いに批判したものに「道家」の「老荘思想」があります。

法家←→儒家←→道家老荘思想)ですかね。  ←→は(対立関係)
現実度>>>>>>仙人度

それぞれに「成る程」と膝を打つ説得力がありますが、
そんなものにも長短の二面性があるものです。
それぞれが自分の正当性を訴えて相手の非を鳴らす。

なかでも東洋思想として評価の高い「老荘思想」は「儒教」を批判することで
その正当性を確保しようとしたようです。
儒教のアンチテーゼ的な感じですね。

私たち中年がその烙印を押される「不惑」の40代に足を踏み入れるとき、
ついつい陥るのが、この「老荘思想」です。
いや、老荘自体が悪いわけではありませんよ。

手っ取り早く悟りたい安心した親爺が多いわけです。
(社会とうまく付き合えない親爺は星の数ほどいるわけですから)

「愚者の戦略」というものがあるといいます。
一言でいうと「おりる」こと。
社会や時代に背を向けることですかね。
関東大震災のあとに金子光晴などが実践したそうですが、
これがなかなか難しい。でも魅力があるんですね。

そうして、チョイワル
ペシミストやニヒリストが生まれていくわけだ。

儒教から出た「孟子」や「陽明学」を危険思想だという時代です。
かといって、お手軽な「老荘」はもっと危険だと私は思います。

私たちは性急に答えを求めがちです。

競馬や相場の必勝法を求めるように、
人生の在り方や必勝を、悟りを
お手軽に手っ取り早く求めようとする。
そんなものは、ない。

悩んだり落ち込んだり凹んだり萎んだりすることは
決して悪いことではなく、その先に新しい自分があるのだと、
健気に往くことが大切なのではないでしょうか。
参考文献の使用は自由です。が、丸飲みは御都合主義になりかねません。

つらい経験を積めば、ではなく、その経験に意味があるのではなく
そこで何を考えてどう納得して咀嚼して実行に移せたか。ではないかと思います。

またまた校長先生の朝の朝礼のスピーチになってしまいました。
おやまあ、もう何人もひっくり返っておられる(汗)。

では、つぎ教頭先生お願いします。




ええっ、教頭の馬二郎です。

遠足のおやつは200円まで。バナナは入りません。以上