●第五代・第二次伊藤博文内閣
明治二十五年八月八日~二十九年八月三十一日
伊藤は民党に対して歩み寄ったが、山県などの政府弾圧に辛酸を舐めた民党は受け入れなかった。
議会運営は難航した。伊藤は自由党との提携で過半数議席獲得を画策を推し進めていく。
この間、明治二十七年に日清戦争が勃発すると戦時議会として挙国一致が色濃くなっていく。
そして、自由党との提携が発表され、翌年の四月には板垣退助が内務大臣として入閣。
伊藤の計略は成功した。
しかし、それは山県らの反発を招くと同時に官僚機構の指示も失うことにつながた。
また、自由党は大所帯ではあったが一枚岩の結束力に乏しく混乱は続いた。
そこで、伊藤はさらに改進党の大隈重信を外相のポストを餌に誘い込もうとするが、
自由党が大反発する。さらに官僚機構の反発が追い打ちをかけ、伊藤内閣は総辞職となる。
伊藤は後継者に再び松方正義を奏薦した。
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(余談だが、とは言わない)
伊藤にとって困ったときの松方なんでしょが、
薩閥へのバランス思考以前に松方への信頼もあるのかと。
松方は経済通という評価より、堅物で経済に対してもさほどではないとの指摘がありますが、
杉山茂丸が日本興行銀行の必要性を説いたのがこの頃の松方総理にあたります。
杉山の戦略は外資の導入によるところが最大のポイントでした。
杉山は松方の理解を得、藤田伝三郎などの資金援助で渡米、
モルガン財閥からその契約を取り付けます。
なんと金額にして1億ドル以上1億三千万ドル。利息3・5%で会社が1.5%。年限50年ぐらい。
残念ながらせっかくの案件は日本本国で握りつぶされてしまいます。これが杉山案の興銀だったら
日本の近代史、いや現代史も変わっていたことでしょうね。
あっ、伊藤の話でした。伊藤は常に戦争反対のスタンスです。これは日露戦争でも変わりません。
そんな伊藤に対して児玉と杉山の秘密結社はどのようなスタンスで向き合うのでしょうか。
つづく。
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(お金お耳袋)
昨日は取材で石神井公園のお茶屋さんに赴きました。
出された「深むし茶」美味しいでした。静岡産でそう高いものではないそうですが、
私の半生の記憶では25年前に頂いた「広島茶」に匹敵するものです。まあ、日本茶にそれほど
一家言あるわけではないのであてにはなりませんが。
お茶相場につてお聞きしたところ、若旦那がさほどの値動きはないとして、
最近の飲料メーカーのお茶ブームで安いクズ茶が高騰しているそうです。
ははあ、自販機などの商品は「安いクズ」茶が原料なんですね。
一頃、鰯がとれなくて鯛より高くなったのと似てますか。違うかな。
なんにしても「リーフで味わいましょう」がご主人の呼び掛けだそうです。
「赤井茶店」西武池袋線石神井公園駅下車。富士見街道沿い。いい店でした。
お近くでしたら是非どうぞ。