あかんたれブルース

継続はチカラかな

長府藩と人斬りと伊藤博文の違い



その後、維新をむかえて明治政府では華族制度が授けられます。
公家、旧大名に国家功労者の「家」に与えられます。
そのとき、中山忠光暗殺に手を汚した長府毛利家は子爵どまりだった。

日本の爵位は上から順に公・侯・伯・子・男です。
維新回天の二大組織長州藩グループでありながら下から二番目。
これは、明治天皇が長府毛利家の伯爵への叙爵を渋ったと言われますが、
それが明治天皇の心情からだったのか、公的なはばかりだったのかは
想像するのみです。

暗殺、人殺し。

司馬遼太郎
「暗殺という政治行為は、史上前進的な結果を生んだことは絶無といっていい」
と言い切っています。

ただし、その司馬さんにして
幕末の桜田門外の変は例外だったもしている。

幕末の志士で、
龍馬、桂小五郎武市半平太は剣豪だった。けれども
龍馬も桂もその剣の力に頼ることはせず、三十六計逃げる逃げる。
武市はそれを岡田以蔵に行使させる。
薩摩の人斬り半次郎・桐野利秋田中新兵衛などが有名ですが、
組織的には新撰組もそうかな。

そのなかに伊藤博文の名も出ています。
伊藤は手を染めたのは高槻藩士・宇野東桜。
(共犯者は高杉晋作井上聞多、白井小助など)
それと、国学者・塙次郎と加藤甲次郎。(共犯者は山尾庸三)

と、されている。

幕末の伊藤は過激だったのです。
焼き討ちもすれば密航もする。命知らず。
明治維新以降の平和主義者とは結びつかない・・・はてな

幕末四大人斬りはみな身分が低い。
桐野利秋(家禄5石の農民同様それ以下の極貧城下士
田中新兵衛(船頭とも薬種商もしくは私領士・陪臣)
岡田以蔵(二十石六斗四升五合の郷士足軽の子)
河上彦斎肥後藩士の次男坊で養子に出されてお掃除坊主)
桐野と河上とについては実際に人を斬った記録は少ないそうです。

それでもみな、非業の死を遂げています。
(最長命が西南戦争まで生きた桐野。時代に抹殺された感じ)
使い捨てのような感じもします。

伊藤博文も百姓から足軽の出。実際は中間奉公をしていた。
彼のボスだった高杉晋作奇兵隊を創設しましたが身分意識は強かった。
その意味で、足軽出身の伊藤を刺客に使ったかも、しれない。
でも、伊藤にそんな腕前があったのかな・・・
ただし、非業の死ということであれば、
伊藤もハルビンで暗殺されている。

伊藤の爵位は伯爵(3位)のちに公爵(最上位)。

長府藩主とは対象的ですねえ。

かといって、伊藤博文
明治天皇岩倉具視などと良好な関係だったとはいえない。
内閣制度を設立し、政友会を結成し政党政治を確立させ
日本の近代化を推し進めた政治家。

それはそれで、安重根がいうように尊皇の裏切りもの
とも言えるかもしれません。けれども、


わたしは、伊藤の天皇殺しを信じない。





分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(11)番外-1