あかんたれブルース

継続はチカラかな

ここから第二部かな



歴史には謎がいっぱいです。
それを解き明かす楽しみもあれば、
歴史から学ぶことも需要なものです。

表だった記録の裏に隠された事実が潜んでいる。
真実は表にはできない。そういうものです。

  そこで日記とかが非常に重要なカギとなったりします。
  日本人は不思議な民族で太平洋戦争時に下は二等兵から上は将官まで
  日記をつけていました。書簡などはあれほどチェックが煩かったのに。
  日付入りの部隊の移動状況などなど
  これが敵の重要な情報源となるというのに(汗)。

平民宰相の原敬日記なども重要な参考にされます。
しかし、事実のちぐはぐが生まれます。
たとえば、彼の妻の出自が井上馨の妻の娘だったか、違うのか。
中井弘の娘かどうか・・・とかね

秘匿されるべき日記だったのか、オープンにされることを考えての日記だった。
意図的なものがあったかどうか。

日露戦争後に編纂された『公刊日露戦史』というものがあります。
坂の上の雲』で司馬遼太郎がこの本が如何に改ざんされたかを書いていた。
「俺のはこう書け」とか「これは書くな」とか
上司である登場人物の圧力がかかったそうです。
色々気をつかって仕上げたに、担当大佐は青島かどこかに左遷されてしまった。
この記述に全国の古本屋の御主人たちは小躍りしたといます。

坂の上の雲』を書く際に司馬さんはこの全十巻を大阪ミナミの古本屋で
二束三文で入手したといいます。
つまり、その価値を一番知っていたのが古本屋の親爺たちだったわけですね。

これはブックオフの105円本とかアマゾンの1円本とは
違う次元の話ですよ。

それでも、2ちゃんねる近現代史の『坂』関連、日露モノで
必ず登場するのがこの本です。まさにバイブル。
なんたって公刊であって、表の正式な正史なのだと。
それを否定するものは小説を信用するモグリのド素人の烙印を押される。
それと平行して一応認められているのが『機密日露戦史』。
こちらは長州閥一掃と乃木批判に占められたものです。
なににしてもその資料から一歩も出られないところが
悩ましい不自由なところなのです。

わたしはそういった資料を無視しようなどとは思わない。

ただ
陰謀説云々を検証していくなかで
そういった史実や記録の推理に欠けていることがあると感じます。

歴史は、人間がつくるものです。
たとえそこにどんな国益や組織の思惑があったとしても
動くのは人間であって、そこにはそのエネルギーを生み出す
エロティズムがなければならない。熱狂するものが。
また、人が人を動かすにはそれなりの信義というか魅力がないと
人間は動きません。

それを、利権(金とか権力など)だけと考えるのは(戦後)現代だけであって
100年前の日本人の民度は低かったかもしれないが
非常にバカ正直で純粋純情で損得だけでは動かなかった。

そういう人もいたでしょうが
そうでない人も多かった。少なくとも今よりは。


杉山茂丸を薩摩とか英国の意志を汲んだ「ヒモつき」とする推理に
どうしても納得できないのはわたしの杉山贔屓だけではない。
一応、感情論を抑えて時系列にまとめて検証してみましたが
要は、人なのです。
そんな「ヒモつき」の男に志は語れないし、
ましてや誰も信じない。

いまのひとは右翼か左翼かで判別しようとします。
たとえば、宮崎駿も左だとか司馬さんに至っては右だ左だと混乱している。
杉山を右翼だという。国家主義者だという。
しかし、杉山はレーニンを支持していたし、民権家とも親友だった。
無政府主義者とも付き合っていた。
杉山茂丸を左右どちらかに区分けすること自体が無意味だと思うのです。

彼は、国士だ。

そういうと、あっやっぱり右翼だというアホがいるから困るのですが・・・

まあ、どっちでもいい。好きにしなさい。

歴史は人間がつくるものである以上
血が通っている。
それをロマンだといって嗤う人もいるかもしれないけれど、
誰が好きこのんで死にはやるものですか。
そこに、ロマンというエロティズムがあるから狂うのです。
お金は命の次と相場は決まっていますからねえ。


さて、話は堀川辰吉郎でしたね。
ロマンとエロティズム・・・
ここからは革命と宗教が重要なテーマとなってくる。

孫文辛亥革命満州国、石油、風水、阿片・・・
大本教、天津教、本願寺日蓮宗・・・
とんでもないこってす(汗)




分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(13)近現代史のなぞなぞ(5)