あかんたれブルース

継続はチカラかな

ごく個人的な嫌悪



会社を立ち上げたのが昭和63年の秋。
その年が明けた一月七日。
わたしは井の頭線東松原の自宅兼事務所の窓から
前の晩に積もった雪を眺めていた。

午後一の約束で学研の編集者が打ち合わせにくることになっていた。
十数分遅刻して彼は訪れ、開口一番にこういった。

「てんちゃん死んじゃいましたね」

へえ?

なんのことかわからなかった。
飼っていたペットでも死んだのかとかと思った。

この日、昭和天皇崩御されたのだ。
たぶん、乗り換えの渋谷の駅では号外が配られていたのだろう。
彼はそれをわたしに見せた。

崩御」という言葉もそのとき知ったのかもしれない。

しかし、なんとなく、人が死んだのに・・・
彼のその態度に違和感をもった。(好きな担当者じゃないというのもあるけどさ)

天ちゃん。という表現も嫌だった。

そういえば、いつだったか新宿の談話室滝沢の下の雀荘
麻雀を打っていたときもこの表現は飛び交っていたな。

とくに、天皇崇拝者とか、右より思想じゃないんだけれど、
鼻についた。

なんていうか粋がっていつというか気負っているというか
虚勢をはっているように感じた。
実際の喧嘩でそういうのはあまり役に立たない。

そういうの、嫌なんだ。

そういう言葉を使ったからって
リベラルでもフランクでもラジカルでも、知的もなんでもない。
むしろ、お調子者に感じる。

あの頃、仕事上では頭を下げていたけれど、
一歩場をかえれば喧嘩ばかりしていたように思う。
相手の六割は団塊の世代だった。
最初はいいけれど、そのうち説教をし出す。
いい加減、嫌になって言葉を返すと
学生運動も知らないくせに」と逆ギレする。

じゃあ、お前達はどう社会を変えたんだ!
何が三里塚だ、こっちは栗より美味い十三里だバカ野郎!
こっちは自腹で飲んでいるんだ。マスター、俺は客だぞ。
おい、こちを見ろ。
一歩も引かなかった。負けた記憶はない。
二丁目でも三丁目でもこんなことが多かったなあ(汗)。


喧嘩の話は別として、
物言いとか言動で相手の素性はわかるものです。

麻雀を打てばわかる。

酒の飲み方でわかる。

一緒に仕事をすれば、わかる。


その人が使う言葉。
文章でもわかる。
言葉は、その人をあらわす。


自分の言葉に責任をもてよ。


そういう薄ぺらい
言葉
そういうの
嫌なんだ。



矢崎泰久
>皇室をテーマにした寸劇「さる高貴なご一家」にて、
今上天皇が以前患った前立腺癌に対して
>「あちらの生活も支障をきたしますね」と応じた

どうもここから皇室子種なしの醜い陰謀説のソースになっているようです。

こういうの、嫌だな。

思想や政治姿勢云々ではなく、
別に天皇にさして思い入れがあるわけじゃないのだが、
こういう(行為)言葉を使う手合いが嫌いなのだ。
それだけ