あかんたれブルース

継続はチカラかな

萌える秋

 

色々な考えがある。
多様化したのは趣向やスタイルだけじゃなく価値観もだ。
拡散していく。けれども
実は、それぞれの思いや願いはだいたい一緒なのだ。

みんな平和をもとめている。幸せに暮らしたい。

そのための手段や方法論が違うといって
対立し、批判し、正論正義を争う。
目標の山頂への道が右回りだろうが左回りだろうが
目標に達せられればそれでいいはずなのに、
過去の左右それぞれの失敗例がそれぞれに警告は鳴らす。
不安や怖れがあるからです。

変化に対する恐れもある。
日本人は、特に「変化」を恐れる民族なのだ。

それは国でも個人でも同じです。
私達は不安で怯えている。
そういう自分に自信がもてない。だから自分と異なる考えを持つ者を
否定し批判し勝利することで確認しようとする。
ただし、相手を選びます。
勝てそうな相手もしくは実害の及ばなさそうな相手とか。

共通の敵を持ち得ることで連帯感も生まれる。
そこには正義と安心があります。

「純・青空会議(暫定)」や「声と手の輪(仮)」は
そういうのを越えたいと思うのです。

「純・青空会議(暫定)」には「一人一党」というものがある。
今度の会議ではこれを再確認するのもひとつのテーマです。

この一人一党は杉山茂丸の人間スローガンでした。

彼を右翼とか、国家主義者、国粋主義者というものもあれば、
いや、彼は破壊者であり極左無政府主義者であるという。
では、杉山茂丸とは、何者か?
彼は、どんな組織にもどんな人間にも組しない
自主独立の生き方を貫くことで、失われたアイデンティティーを取り戻し
エロティズムに熱狂する理想主義者となり、また体現させた。

杉山は政財界の黒幕とか策士とか人形遣いといわれた人物です。

かといって彼は孤独ではない。孤高であったかもしれないけれど。
彼には信頼する友がいた。
大変な数です。
それぞれの主張や立場や姿勢は違う。そして彼自身も彼らから信頼され愛された。

いったい、杉山は何を基準に彼らと契りを交わしたか?

主義主張ではない。利用価値でも、ない。

ただ一点、人間の真贋である。

といっても人間には本物偽物未熟者があって
大方は未熟ですが、それを誤魔化す偽物であってはいけない。
そういう誠実さ、正直者を杉山は認め、そして杉山自身も認められた。

そういう関係がとても羨ましい。

半世紀も生きている、ときどき嫌になるときがある。
さびしくなるときがある。

これを、つまらない心情的な個人的なことと捉えないでほしい。
誰にだってあるとわたしは思う。

杉山と彼らとの熱い友情の契りを読み返すたびに
わたしは泣けてきます。羨ましい。
こういう感動を現実の世界で、自分も力一杯感じたい。
そう思った。

もうすっかり愛想を尽かしてしまたわたしに
明治の日本人の生き様が勇気を与えてくれました。
一人一党。という生き方がその導となり篝火です。

純・青空会議はそういう一人一党たちの寄り合いでありたいな。

色々な考え、姿勢はあっても信頼できる者達の集い。

ハルジオンさんが始める「声と手の輪(仮)」も
そういうものであってほしい。

これがわたしの願いであり祈りです。

そんなわたしの革命は
とても小さい。

そこから始めたいのです。