あかんたれブルース

継続はチカラかな

まだ、考えている。

生死観と性愛観(15)


愛を仏教では厄介な煩悩として考えています。
とにかく「こだわるな」と諭す。
それは愛が愛憎となって私達を苦しめるからなんだろう。

でもさ、熱狂について語ったように、また
愛は「死んでもいい」という熱狂ではないのか?
命に次に大事なのはお金だという。
愛は、命とお金の愛だのどこに位置するの?

(1) 愛 命 金
(2) 命 愛 金
(3) 命 金 愛     正解(   )5点

問題は、愛憎のなかにある嫉妬とか執着なんだと思う。
嫉妬はかなりヤバイ煩悩です。
これを解りやすく「執着」に限定してみたいと思う。

昨日の夜這いのケーススタディーで
夫婦間での、親と娘の、黙認は執着の是非ですよね。
100年前と現在での葛藤は「執着」ではないだろうか。
それがなければ万々歳、この世はほとんど丸く収まる。

そんなふうにいくか! バカ

親鸞だってできなかったのに、凡夫の我々ができるわけない。
そういうことを説く手合いは飯喰わないで1億円貯めるとか、
24時間勉強すれば東大に合格する、という夏休みの計画で
絵に描いた餅屋である。そうだろう?

考えとして、一番順当なのは
時代としての価値観が違うってところがまず外堀です。
いまほど、セックスに対してさほどの価値をみいだしていなかった。
ちょっと不謹慎な表現になりますが
娯楽のない時代でセックスは身近な娯楽として、否定できなかった。
とまず考えてみます。
罪悪感もなかったんでしょうね。「別に悪いことじゃないべ」とかさ。

時代劇で悪人馬太郎が
「にひひ、減るもんじゃあるまいし」
と真理を説くのに、茶の間では「なんて非道い奴」とミカンを投げつける。
これが大宅壮一の『一億総白痴化』なんだと思う。
だって、減らないんだもん!

それと、「ウチの娘をキズモノにして」という台詞もある。
また、「よくも私をオモチャにしてくれたわね」なんていう自己申告もある。
ま、その相手は極悪人寅屋あたりで
「生娘でもあるまいし」があったかどうかは別としてですが。

ここにさ、損得があるわけじゃない。
これこそが女性の商品化であり、処女崇拝の存在であり、
はやい話が
セックスは男は得で、女は損。という相場観が存在します。
それは嘘だと思わないか?
どっちも気持良いのに、というか断然女性の方が気持ち良い!
不公平だと思わないか、君。

で、夜這いの時代は割合それが等価交換に近かったんでしょうね。
それでも選択権とか指導権は女性側にありますけれどね。

でもさ、それは昔の話なのだ。
やくざが博打できていれば今日の暴力団に発展することはなかった。
しかし、やくざを町内に戻すことは無理です。
ルイちゃんも昔はバスト88だったそうですが、それを・・・(恐っ)
死んだ子の歳を数えるとは、昔の人はよくいったものです。

で、愛の話なんですが
どうもこの「執着」にあるような気がして
今年のはじめから張り込んでいる愛の捜査一課馬太郎刑事。

「馬さん、ホシの動きはどうですか?」

「ヤマさん、早くポートレートアップしてくださいよう(汗)」

というこで、ハルジオンさんもはやくアップしてください。
でないと、JJ. がさらなる妄想自画像をアップします。