あかんたれブルース

継続はチカラかな

危険な賭け




「他人の幸福を喜べる女性は美しい」

若い頃は、どんな男でもオトセルと豪語した
美しいと評判のルイ様に聞いてみた。

で、お主はできるのか?

「ケースバイケース」という答えが返ってきた。

それじゃだめなんだな。

「なんで?」

喜べないケースがあるとダメみたい。
どんなときでも誰にでも。

「そんなの無理じゃん」

そうその無理を科すところにこの真理の無理がある。
だからこれは真理じゃない。

「なんでそんなに決め付けて言い切るの」

危険だからさ。

「なんで?」

雫が言ったようにケースバイケースには
バランスをとる必要がある。
まずこれが難しい。

「好き好きやろ」

それじゃ許されない人たちがいる。

「難儀な人やなあ」

真面目なんだと思う。そのぶん自虐も入ってるんだろうけど。

「あるで、そういう気分に浸るときって」

気分的なもので一過性のものだったらいいけれど
ど根性(苦行みたいな)で
それを徹底的実践しだしたら支障が生じる。

「そんなのレアケースやないの」

いや、結構いるよ。

「身勝手な人ばっかりやけどなあ」

そういう人はそういう人でいいさ。それはまた別の話。
問題は、こういった健気な人たちだ。
なんか理不尽で気になって仕方ない。

「そういうあんたはモノ好きとちゃいまっか」

たとえば、こういう人たちが苛められるケースが多いんだよね。
人間っていうのはメザトイからカッコウ
依存の対象に、はけ口にしてしまう。
ま、それで相手がいつかわかってくれればいいけれど
そうは問屋が卸さない。
でさ、これってやられてるほうも不幸だけれど
やってるほうも不幸なんだよな。

だから、そういう無理はやめたほうがいいよ。
自分のためにもならないし、他人のためにもならない。

「でもそれだとみんな身勝手になっちゃうんと違うの」

それとこれとは違うだろうね。
次元が違う話だ。
わかりやすいのは子供の教育とか躾と同じだ。
愛情いっぱいに育てたら子供は立派に育つ。これは真理だ。
だけど、問題はその愛情の中身、質であって
過保護に育てたらとんでもないのが出来上がる。
でもそういった親はそれが過保護だっては思ってはいない。
もしかしたらわかっちゃいるけどやめられない。
植木等のようなものだ。

「それやったらわかりますわ」

結局はセンスなんだと思う。

「もって生まれたもんかいな」

それもあるだろうけれど、センスは磨くものだ。
それと驕りがあるんじゃないかなあ。

「なにそれ?」

前の記事で書いた人間だけで、人間同士で、
考え解決させようとするところに
無理があるんじゃないだろうか。
そういった無理な発想には真理だとか悟りだとか
人間の小知恵で考えた「驕り」を感じる。

力業で乗りきろうとする
性急さってところでしょうか。