あかんたれブルース

継続はチカラかな

桑子のあく巻き



あく巻きとは鹿児島県(南九州)のチマキのようなものです。

あく巻きのアクとは灰汁のことで
灰汁に漬けて置いたもち米を
竹の皮などで包み、麻糸や竹の皮から作った糸で縛り、
灰汁で3時間~半日程度炊いたもの。です。

味は、苦い。それに白砂糖とか黒砂糖とか
黄な粉と砂糖を混ぜたものをまぶして食する。
和菓子扱いをされていますが、有事の常備食料でもあり
兵士はこれを腰に括りつけて戦場を駆け巡った、とか。


昨日、久々に桑子と電話で小一時間ほど話しました。
わたしが修行中に世話になった先輩で、馬太郎にとって姉的存在。
10年前に亭主と別居して、
それからずっと一人でアパート暮らしで働いている。
夫さんが躁鬱病でねえ、桑子は大変苦労しました。
その間の十数年のことをわたしはまったく知らなくて
7年前の年賀状ではじめて、知った。

桑子は高学歴で大手出版社出身の才女ですが
そういうのをまったくひけらかさない
気のよい女性で、酒好きで、アホです。

その気の良さ、弱さから
別居して10年経つというのにまだ籍を抜いていない。
正式に離婚していないのだ。まったくアホなのです。

「馬太郎君どうしよう」

そんな桑子の心配は、あと4,5年しか働けないこと。
そう、もうすぐ還暦なのだ。
一昨年には癌になって手術した。
いまのところ再発はないようですが
女一人でこれから先生きていくのは心細い限り、ですよね。

届いた年金の通知には驚くほど少ない金額が記載されていたとか。
具体的にその金額までは聞けなかったので
なんともいえませんが、すくなくとも
旦那の厚生年金の扶養だった時期があるから
その間の専業主婦時代だってまったく払っていなかった
ということにはならない。

ただ、桑子とわたしが席を並べていた
あの会社は社会保険に入っていなかったので
そこは空白だろうなと思って、

「桑子さん、○○には何年いたの?」

「う~ん、三年ぐらいかな」

「えっ、三年! 
 じゃあ俺たちは二年ぐらいしか接点がなかったの」

驚いた。たった二年ですよ。二年。
桑子はそれを、あの頃はきっと濃かったよねえ。と笑う。

わたしたちはお互いに五十年以上の人生を送っている。
そのたった二年の接点で・・・

人生は邂逅にありというけれど
長く付き合っていても屁のような人もいれば
ほんのある時期に付き合って、それを一生続ける場合もある。

良縁もあれば悪縁も、腐れ縁もある。


端からみれば、ヨリを戻す気もないのに
離婚に踏み切れない、煮え切らない桑子を馬鹿な女と
思うでしょうねえ。
わたしもそう思う一人かもしれないけれど
なんというか、憎めないというか
そういう桑子姉さんが好きです。

わたしはこの人にとても優しくされました。
それはたった二年の間のことです。
そのたった二年のことがわたしを生かしてくれている。
わけです。不思議だよね。

人間が生まれて、死ぬまでに
出会える人はそう多くはなくて、
また通り過ぎていくだけでのものも多いのですが
そういった出会いにもみな意味があって
それを見出せるかどうかはその人次第でもある。

そういうものを大事にできたらと思う。
(大事にとは付き合っていけということじゃないぞ)

人間なんて何も残せない。
永遠なんてないけれど、
もしそれに近いものがあるとすれば
記憶だけだ。

気のいい桑子のお馬鹿な人生は灰汁に染まっているのかも
しれませんが、どこかうすらぽかんとした
どこか他人事のような彼女のぼやきが好きです。

そして桑子は今宵も酒を飲む。
往年の頃に比べえてその酒量は減っているけれど
あいつの気のよい酒は楽しい。

「馬太郎君、バカねえ」と
わたしの与太噺に桑子は笑う。

たぶんそれはいまも変わらない。


今度神戸にいくから、必ず飲もう。
そう約束しました。