あかんたれブルース

継続はチカラかな

メイと二人のマリリン

つぐみのゆりかご(5)


ふと、さ
「鈴原芽衣シンドローム 」の芽衣
命名は(まぎらわしいなあ)
トトロのメイからきてるんだな、と思った。

出来すぎた姉のサツキに対して
出来てない妹のその後ってことかしらん?

この出来すぎたサツキに対して
宮崎駿ジブリのプロデューサー鈴木敏夫氏の間で
相当もめたそうです。
鈴木氏はこんな子供はいない!と。
対して宮崎先生は「私がそうだった!」と
一歩も引かなかったそうですが
最後に、あのサツキが「おかあさ~ん」と
泣く名シーンを挿入して
「これでどうかな」とウインクしたとか。
出来すぎた姉はコクリコ坂の海ちゃんもそう。
対して妹の空ちゃんは甘えたさんだ。
ま、妹には妹の(環境的な)事情があるわけです。

こういった二面性の人格について
先日、マリリン・モンローのドキュメンタリーを
BSでやってたんですが
わたしがテレビを着けたときはエンディングで(汗)
それでも終了後の石坂浩二の解説に納得した。
「マリリンを殺したのはノーマ・ジーンではないか」

なるほどねえ。

ノーマ・ジーンとはマリリン・モンローの本名。
彼女の死には様々な憶測や陰謀説がありますが
それとは別次元で、石坂浩二はそう推理する。

彼女は境界性パーソナリティ障害だったといわれる。

彼女が生きるには
マリリン・モンローという人格を作り
それを演じるしかなかった。
それはスクリーンだけではなくすべてにおいて。

親からの愛情を得られなかったマリリンは
誰からも愛されたいと努めました。
そしてノーマ・ジーンは疲弊していったのだ。

彼女には(父親違いの7つ年上の)姉がいた。
「姉とは女優になってからも気にかけていて、
 手紙をやりとりし互いに訪ね合うほど親交があった。
 その姉はマリリンの葬儀に参列している。
 (元夫)J・ディマジオと共に葬儀の準備にあたり、
 マリリンの死装束を選んだのも
 他ならぬこの姉であった」

ノーマ・ジーンも自立しなければならなかった。

境界性パーソナリティ障害の範疇に入るのか
それ以前の認識としてなのか
「HSP」という遺伝特性があるそうな。
アメリカ人の5人に1人という割合だそうですが
本音と建前を使い分ける日本人であれば
その比率はもっと高くなるでしょう。
近年、その傾向はもっと強くなっていると思う。

わたしはこれを「障害」とは認識しません。
わたしは、ですよ。
わたしがむしろ問題にするのは
使い分けなければならない社会環境であり、
また、その際に構築される
外向けのパーソナリティーだ。
演じるキャラクターもしくはパーソナリティー
パターン化している傾向があり
また、非常に流行的流動性があるというか
不自然なものに感じます。
価値観とか一般常識の
時代性、流行的流動性のことです。
本音と建前、内外、裏表あってもいいけれど
それはあくまでも表裏一体でないとつらいよ。
裏と表が乖離していく危険性。考えてみてください。

「鈴原芽衣シンドローム 」が
次女だけではなく、症候群として
多くの人たちに共通するものであるように感じた
「わたしの」感想として、でした。