あかんたれブルース

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民主主義の異常事態(2)


昨日の昼過ぎにうすぼんやりとしてて
テレビなど着けたらNHKで
100年前の日本と現代の日本を重ねる
企画番組をやっていました。
1914年の日本とは大正3年の頃です。

わたしは以前から
歴史は繰り返すんじゃなくて
螺旋を描いて進行しているという
歴史の相似論を自論としています。
時間は後戻りしないでしょう。
それでも螺旋と螺旋が接近するときに
似たような事象が生まれる。
それで、うっかり屋さんたちが
「歴史は繰り返す」と宣伝しているんだと。

まさに100年前の日本と現代は酷似している。
それを痛感したのが、
2010年9月の尖閣諸島中国漁船衝突事件でした。
あれから一気に東アジアの領土問題が紛糾し
反日運動が高まったのですが

中国の辛亥革命が1911年。
これによって
漢民族満州民族の支配から解放される。
当時中国は半植民地時代でしたが
この革命成功からナショナリズムの気運が高まり
あろうことかその矛先が西洋列強にではなく
日本に向けられた。
辛亥革命を陰ながら応援していた日本人も多く
国民党と日本は良好な関係にあったはずが
これを境に袂をわけてしまうのでした。
一説には英国情報部と中国共産党の仕業とか

また、当初日本は欧米帝国(植民地)主義に
対抗すべく中国・朝鮮・日本が協力しあって
それに立ち向かうというメルヘンがあった。
ところが、中国・朝鮮のあまりの体たらくに
すっかり期待と信用を失ってもいた。
福沢諭吉がはやばやと「脱亜論」などを
提唱しだしたものそのためです。

昔からダメな民族なのだ。
100年たってもまったく変わらない。

そういうことは以前にも記事にしましたが
昨日の番組では
大正デモクラシーをキーワードにしてた。
この時代、普通選挙運動とかシーメンス事件とか
民衆世論の力が跋扈してきた時代です。
日本の人口も農村部から都市部に民族大移動が起きて
生活文化も大きく変わり、その近代化の象徴として
サラリーマンやモボモガなどが登場した。
一見華やかな大正浪漫のようですが
実はこれが軍国主義の魁となってしまう。

モダンボーイモダンガールというと
聞こえはいいですが、いまでいう半グレ
ですからねえ(汗)
また貧富の差も激しくなって
東京には約200箇所貧民窟があったとか。
都内に200箇所ですよ。

民衆は閉塞していた。
新聞メディアはその鬱屈をエネルギーに変換し
読者を増やしていった。
あるときは政府を糾弾し
あるときは諸外国の非道を叫び鼓舞した。
とにかく民衆の熱狂が活力なのだ。

その熱狂に踊ったのが
「うつろいうやすい日本人」だったのです。

結構、ノリやすいんですよね。
両極性で劣等感と優越感の振り子に左右される。
その最大の動力源が「民主主義」では
なかったか?

今でも民主主義は伝家の宝刀であり
何かというと水戸黄門の印籠のように
これを掲げる。
「キョーツケイ!恐れ多くも民主主義の名の下に」
てな感じですが、はたしてこの戦後民主主義
どうにも胡散臭くてしょうがない。

それがプンプン悪臭腐敗臭を放ちだし
去年の夏から一気に加速した。
民主主義の名の下に人権や平等や権利を過剰に
持ち出して重箱の隅をつつくように
足を引っ張りぶち壊していく。
これ、民主主義の暴走ですよ。
世論を司る民衆の民臭が腐ってきている。
最初は腋臭ぐらいで甘酸っぱくもあったけど
もう猛烈です。鼻が曲がるよ(涙)

それもそれを醸しだしてるはごく一部の国民。
右翼も左翼も人権団体も禁煙運動家も
陰謀論者もフェミニストもなんでもかんでも
それぞれは全体のごく一部の1%前後だ。
その他はみ~んな実は無関心でノンポリさんだ。
ただし、その一部の意見をマスコミが煽る。
扇情的な危機感を煽る論法が雰囲気をつくり
多くの人がそれに流されてしまう。
いつのまにかそれが「世論」のように
仕立てられてしまうのだ。
言いだしっぺもその後と事の大事さに
内心青くなっているんじゃないか?
「取り合えず言ってみただけ」
それぐらいのものです。
じゃなかったら狂信的ななんか違う世界に人。

民主主義だし、別に毒にはならないだろう。
(農薬は薬だし、と同じ)

なんて暢気なことをいってると
前回の大失敗を繰り返すぞ。
そういうルサンチマンは安全弁にならない。
むしろ行き過ぎた暴走が反動の原動力になってしまう。
無責任なマスコミや有識者の世迷言に耳を傾けて
ほしい。けっこうとんでもないことを言ってるぞ。
糾弾すべきはそこじゃないか。

どこかでこの流れを変えないといけない。

ドラマなんかに矛先を向けてる場合じゃあないぞ。
ACのCMをパロってうつ病患者顧客拡大を狙った
シオノギ製薬の卑怯な手口を糾弾せんかい。