あかんたれブルース

継続はチカラかな

梅ちゃん食品衛生法違反密売容疑



西洋の哲学と東洋の哲学
ここでいう西洋哲学は合理主義的なものとして
東洋の哲学とは老荘思想に代表されるものを
イメージされるといいかも。
この間で、日本人は頭を抱えている。

昨今、道徳教育が叫ばれております。
こういった世の中、けっこうなことだと
思うのですが、これがなかなか話がまとまらい。
なんで揉めるのか?
道徳を倫理とひっくるめて考えたとして、
その提議が難しいというのです。

その時々の場合や立場、時代によって
その道徳、道義、倫理は変わってしまう。

一番分りやすいお題として
人を殺してはいけない。当たり前ですが
なぜ殺してはいけないのか?
この当たり前のことでも、突詰めて考えると
途中でわけわかんなくなってしまう。
四の五のいわねええでダメのものはダメなの!
とイラついてしまうのです。
これだけのことでもだよ。

つまりそれはどんな人にも適応できる
普遍の道徳、倫理なのか?
悪人であっても? その悪人が行う悪行で
多くの人が死に至っている、その可能性が高い
そんな場合でも?正当防衛もだめなの?
じゃあ死刑制度はどうなるの?

人を殺す、を「害する」という言葉に
置き換えてもいいけどね。
それぞれの利害が存在するなかで
必ずしも他人を害することが自己の害にはならない。
どころか、時間軸の査定にもよりますが
それによって利をもたらす場合だってあるわけだ。
そんなところまで掘り下げるとわけわからん。

そういう思考を哲学的といったりする。
人間はやっかいな問題を考えるとき
末端を細分化して個別に考えるテクにはしる。
ただ、分別していくのはいいけれど
ときどきその大元を見失ってしまうことも
多いようです。
ここに現代人の混乱のもとがあるといわれる。

そんなことどうでもいいの!
子供相手の教育なんだからダメなものはダメって
躾りゃいいでしょう。と苛立つ人は多いはず。
ところが、この教育というのがクセモノで
その執行人の教職員に反対する人が多い。
それは道徳の定義云々だけではなく、
これを「授業」にするということは、
「評価」をしなけらばならない。という
教職員の宿命職務、
そういうシステムの掟があるからだとか。
だから、道徳を授業にすると
良男は道徳的に優れてて、信夫君は問題あり
ということをその担当の教師が査定しないといけない。

なんか変な話ですねえ。
たぶんに言い訳じみても聞こえるけど
それ以前に、この道徳とか倫理の捉え方考え方に
哲学臭がぷんぷんしないか?

「人を殺(害)しちゃいけない。が、
時と場合によってはその限りではない」
こんな王様の耳はロバの耳的なことを
失言政治家だったらいざしらず
文科省の官僚がいう、認めるわけがない。

それはそうとして、
こういった現象を引き起こす原因は
哲学的思考、もっとズバリ哲学のせいか?
いや、ツメが甘い、だけ。なんでしょうねえ。

再放送で恐縮ですが今朝の『梅ちゃん先生
前回から友人の帰郷をバックアップするために
バッタ物のコーラの密造をやって大騒動です(笑)
まさに終戦のドサクサのなかではのエピソード
わたしこういうの大好き! でも
これが平成の今だったら大変ですよね。
1920年代のアメリカの禁輸法時代とも被る?
とにかく時代によっては犯罪行為扱いだ。
でも、私達はそれをみても悪事とは思わない。
むしろ応援しちゃう。
また、そんなことでグダグダ悩むのもナンセンスだ。

梅ちゃんバンザイ!