あかんたれブルース

継続はチカラかな

命の値段ではなく価値



イスラム国の人質問題は膠着状態のまま
その間、米国主導の有志連合の掃討作戦で
ISIS戦闘員の6千人を殺害したのニュース。

日本人一人の命が1億ドル、二人で2億ドル。
命の値段を考えさせられます。
人間一人の命は地球より重いといった
日本の首相もいましたが。

また、今回の問題を自己責任論とは別に
首相の責任問題にかえて追及する考えもあるようです。
なかには元防衛官僚から首相退陣論まで
それぞれそれなりの理屈はあるんでしょうが
変な話だなああと思う。

問題は単なる宗教対立ではない。
二極化する横軸の対立から
内部的な縦軸の対立構造に変化している。
と同時にグローバル経済から資本主義の論理が
罷り通らなくなってしまっている。

当然平和ボケの日本人の甘い妄想なんて
通用しなくなっている。
そして日々、毎週ごとに
有識者のコメントがトーンダウンしている。
現実のまえにハッタリが通用しないのだ。

日本人が戦後倒錯してしまった要因に
精神を蔑ろにしたことがある。
そこには
生死観の捉えかたの不自然がある。

生きることが正で、死ぬことを悪
とする二元論が横行してしまった。
本来、生きることも死ぬことも同じで
いかに生きるか(死ぬか)が重要なのだ。

そこに命の値段ではなく
命の価値というものがある。

テロという行為を容認してしまえば
現在の社会を覆すことに速攻性があり
面白いアクションなのでしょうが
そういうことを認めていいのだろうか?
一人の命を救うために贖ったそのお金が
さらなる悲劇を生む代価となってしまう。
それでも、建前論と大義名分に右往左往する
イデアに臍を噛む思いです。

危険地域に敢て臨むから賞賛があったわけで
そこに安全保障が担保されていたわけじゃない。
だから、敢てその危険地帯に向かった者への
栄光の裏づけがあるのではないかと思う。
「危険だから行くな」ではなく。
ビジネスだろうが報道だろうがボランティアだろうが

厳しい物言いになりますが
イスラム国の要求に応じて身代金を支払ってはいけない。
みょうな成功事例を与えてはいけない。
イスラム過激派がその暴挙を聖戦というならば
いまこそ日本人は日本人の聖戦を世界に訴えるべきだ。
宗教的なしがらみのない日本人だからこそ
それができるのだと思う。