あかんたれブルース

継続はチカラかな

表現ひとつで木っ端微塵



イスラム諸国を分断するはずが
結束させてしまったISIS(ISIL)
戦術家はいても戦略家不在の狂信集団として
世界の敵となりました。

これまでイスラム過激派集団による
集団女子学生誘拐とか
10歳の少女を使った自爆テロなど
イスラム教の教え以前に人道的に反する
行動で批判は高まっていましたが
今回のヨルダン人パイロットの公開処刑
決定的な失策になったようです。
彼らには関係ないみたいですけどね。
なんか昔のオウム真理教を思い出します。

鰯の頭も信心から

信仰や宗教って恐いものです。

とは別に前々から思い知らされていることは
「表現」することの難しさだ。

どんな正論であっても
その表現の仕方タイミング、手法・戦略で
受け取られ方で、受け入れられない
たとえば、前回の選挙で惨敗した次世代の党
そして自民党と国民にそっぽをむかれた在特会
それをマスコミのせいにしてもはじまらない。
そこにある正論正義がゆえに正面突破が裏目

ネットなんかでも
真っ当なことを述べてる記事のなかに
ちょとした表現の誇張ひとつで
ドン引きというのも多々あります。
こっちは比較的好意的に読んでも
一般の人にはそれだけで
眉唾に思えてしまうんでしょう。
ま、伝える側としては正義正論だから
力が入ってしまうんでしょうけどね。

それ以前に一般の人たちは
事なかれ主義だし無責任で臆病だ。
卑怯といってもかまわない。
ほら、こういう表現が問題なんだよね(汗)

右派でもなく左派でもなく
中道の良識派復権を願っているのですが
なかなか難しいものです。

私たちは長く表現の自由というものを
拡大解釈し履き違え続けてきた。
それは人権とか平等とか民主主義にしても
同じで、それは戦前の
「恐れ多くも天皇陛下の!」と同じくらい
効果効用効力があったものです。

こういう殺し文句はバカにできません。
名将今村均でさえも
天才石原莞爾でさえも
それには屈服せざるおえなかったんですからね。

いたずらに危機を煽るマスコミ
イソップ童話オオカミ少年のように
そのうち誰も信じなくなって
本当にヤバイときでも、またアレかと
本当に危険なときに誰も耳をかさない
そんなことになりませんように