あかんたれブルース

継続はチカラかな

旅路の果てから生まれたもの

旅路の果てから(12)

クリスマスも終わって
あとは紅白大晦日
消化試合のような平成27年であります。
NHK大河ドラマ『花燃ゆ』の総集編を
タツに入って観ています。
視聴率がどうのこうのと騒ぎ立てられていましたが
なかなか良い作品だったと思う。
中盤の中だるみはあったけれど
前半の松蔭と杉家の家族愛
そして後半、松蔭の志を受け継いだ小田村と文
目頭が熱くなります。

このドラマは革命の話だけではなく
「教育」がテーマとなっていました。
いまオンエア中の朝の連中ドラ『あさが来た』も
商売からやがて教育の話となる。

教育って大事なんだよなあと
しみじみ思うわけだ。
教育こそが、すべてのキーワードなんだ。

先の戦争の失敗の原因を考えるならば
すなわちそれは教育の失敗といっても
過言じゃない。

それを抜きにして
軍部の暴走とかいい募ることこそ
無責任で危険な思想だと思います。

そこには時代の流れというのもある。
マッキャベリ曰く
その流れに逆行する者は殺されると。
歴史はそういった殉職者の屍でつくられてもいる。

今回の帰省の目的のひとつには
郷土の教育者で最後の私塾創設者 
小原國芳の足跡にふれるというのがあった。
その生誕地久志は旅路の果てのそのまた先の先にある。
小原はこの地に高校を作った。
それが玉川学園前久志高等学校です。
昭和23年のことです。
故郷に錦を飾る?
そんな薄っぺらなものじゃない。
終戦からまだほどないこの時期に
またこんな田舎に

だからこそ小原はこの地に作ったのです。

この私立高校は尾辻哲氏が病院跡地を寄贈されたという。
尾辻のいう名前から現在枕崎で開業する
尾辻病院を連想しました。
結構こういう系譜って面白いんだよね。

この久志高校も1979年に廃校となっている。
近隣に公立高校が増設されていったこと
これもまた時代の流れですよね。
私たちが高校3年のときで
そんなことまったく知らなかった。
そんな高校があったことさえすっかり忘れてたもんなあ

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これがその校舎の跡です。
しばらくは役場として使われていたようですが
現在では廃墟となっている。
小原國芳の精神も時代に逆らった定めのごとく
いやそうじゃない。
枕崎から坊津をぬけて丸木浜辺りの脇道に
玉川大学の実験農場への立て札があった。
いまでも玉川学園との交流は続いているようで
研修場にもなっているとか

志は決して途絶えてはいないのだ。

そういば一緒に教育改革運動に参加してた
山田さんも玉川大学だったよなあ
なんかご縁を感じてしまいます。

さて、わたしの地元滞在も
残すところあと6日です。
帰ったら息子にも
来春から通う千葉工大の創設者の話
してやろうと思います。

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小原の実家からほどない小高い丘に
玉川学園前久志高等学校はあった。

そこからは美しい海がみました。
旅路の果てのもっと先にある海が広がっていた。
ここからはじまったのだった。
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