あかんたれブルース

継続はチカラかな

荒野から旅路の果ての少年へ



三週間ぶりの自宅のパソコンからです。
昨日の朝7時に実家を出て
午後の2時には自宅に着いていました。
乗り換えの時間調整はあったとしても
6時間の話だ。はやいもんだねえ

昨日の記事にJJ.が謎のアドレスを貼り付けていた。
あのバカまたエロサイトにでも誘導して
元気づけさせようしているのかと
好奇心の塊のわたしは疲れているのに・・・

少年は荒野を目指す

飛んでみると
長渕剛の「いつかの少年」というYou Tubuでした。
http://youtu.be/-2xnSBPdK8I

長渕剛はKAGOSHIMA出身です。
彼が歌うようにひ弱で不親切で邪険な街だったかもね。
わたしがその地を離れて38年経っています。
その期間の課程と現在を振り返って
なんで東京なんかを目指したのかとよくここで
こぼしたりもしたもんだ。

距離とか時間だけじゃなく、遠いんだよね。
夏休みとか正月とか、とにかくチケットが取れない。
いまでこそ格安航空会社とかあるけれど
昔は新宿の小田急近くのチケットセンターの
長蛇の列に並んで辟易させられたものです。

いつかの少年に自分を重ねてみると
確実にKAGOSHIMAから逃げた。
捨てたんだ。
わたしにとっての地元は惰性と倦怠と
行き止まりの場所だった。
ここからじゃあ何も始まらないと。

多くの仲間が東京を目指して
そのほとんどがやがて帰っていった。
残ったのはほんの一握りで、その消息さえ
わたしは知らない。

親友のARIもその一人だった。
東京で出会った彼女を地元に連れて帰ったことがあった。
その距離感とギャップに彼女は戸惑い
結婚を前提とした関係はそれで断ち消えてしまった。
他所の人からしたらとんでもない場所なんだよね。
それでもARIが帰ることを選択せざる負えなかったのは
お袋さんの末期ガンの知らせからでした。
東京でやり残したこと、いやまだやっていないこと
たくさんあったのにそれに見切りをつけて
帰らざるおえない奴の気持ちは痛いほどわかる。
あの頃の奴はイラついていた。
その苛立ちの矛先が東京に残っているわたしに
むけられていた時期もあったものです。
ひとそれぞれ背負ってるものが違うんだよね。
自然と寡黙と照れ笑いの癖が身につき
わたしにとって地元はどんどん遠くなっていった。
そして東京でしれっと東京人になりすまして
いったわけです。
そこは標準語の世界です。
だから関西のノリがどうのとかいう主張には
なにを宣まうかと片腹痛かったし
関西弁で通せる人たちを羨ましくさえ思った。
大阪で生まれた女は大阪をよう出ないと歌う
出なくもいいんだったらそれにこしたことはないさ。

こっちは常にダブルスタンダードを余儀なくされている。
鹿児島空港に降り立ったときに常にそれを意識する。
羽田から浜松町までのモノレールからの風景が
嫌いです。殺伐としているんだよね。

何年経っても実はよそ者なのだ。
そこで必死に必要とされる人間を目指した。
それがどうだろう
自分を最も必要としてるのが母親だっただなんて
皮肉なもんですよねえ
ボケの入った母親があの父親を優しい人だったという。
唖然としたけど、嬉しかった。
二人の娘をもつARIもやさしい
誰もが優しいのだ。

そのとき長渕剛が歌うように
KAGOSHIMAはひ弱で不親切で邪険な街でない。
ゆったりとして温かくてやさしい場所だった。

できることならば
あのいつかの少年に教えてあげたい。
KAGOSHIMAも
けっこう美人が多いぞと。

それでも少年は荒野を目指す。