あかんたれブルース

継続はチカラかな

不貞という名の価値観

愛の十字架(14)  

 前の記事の「人生劇場」の続き

 石黒彦市はアナーキスト無政府主義者)で大杉栄を信奉していたようです。

 対する、村岡健次は国家主義に傾いていった。ここに二人の対立の原因がある。

 村岡が石黒彦市を恐れたというのが正しいかもしれません。
 これは「嫉妬」という話として別に記事にしたいと思います。

 ここでのポイントは「愛」は個人的であり、社会や国家はそれを否定する。
 「愛」はそのようなものに疲弊される特徴があるようです。


   彦市とおきみに話を戻します。

   男は本能的に「処女」を求めるとされています。
   でも、二人の出会いは最初からそれは無い。
   それ以前に、おきみは春を売ることを生業とする女性です。

   ふしだら? けれどもそういう関係から恋愛に発展するケースは数えきれません。

   私は逆に、そこに本能を越えた純愛を感じますね。
   少なくとも「家名存続」とか「金」とか「世間体」とか不純なものを感じない。

   蜜月期間の二人に突然訪れた離別。

   そこから、二人は再び関係を修復できない。
 
     なぜか?

   ひとつは取り返しのつかない状況に陥ったのではないかと。

      何が?

   おきみがキヨホテルに戻って再び客をとったという事実です。

      なぜ? もともと娼婦だったわけだし、関係ないんじゃないの。

   

 おきみは汚されて、手の届かないところへ行ってしまった。
 彦市はそう感じた。
 それを、おきみも感じていた。

 二人の赤い糸は交差してもう永遠に交わらない。愛は過酷だ。

 因みに、石黒彦一はその後に東京を制圧するほどの実力を有する者です。
 彼が、再度おきみをキヨホテルから助け出すことが不可能だったとは思えません。
 たとえ、失敗したとしても、そこで二人が死ねたら良かったのになあ。と
 私は思うのでした。