あかんたれブルース

継続はチカラかな

言葉の処方箋



わたしたちの使う言葉は時代とともに変容していきます。
と同時に、常識もまた変わっていくものです。

差別をなくす健全な社会を訴えて「言葉狩り」が行われた時期もありました。

以前、公共広告機構のCMで「頑張れ」という言葉に警告を鳴らしていた。
リングの上の受験生の子供にセコンドで両親がその言葉を連呼する。
疲弊していく子供の姿を描いていました。

鬱の時代にあって、この「頑張れ」は禁句となっています。

それは精神医療の現場からのもので、医療マニュアルでもあるようです。
それが一般化したものなのでしょう。

もうこれ以上頑張れない。どう頑張ればいいのか。

たしかに、追い込まれた人間にとって、
これ以上の厳しい言葉はないのかもしれないですね。

けれども、それは言葉のせいじゃない。

言葉を封印していってもなんの解決にもなりません。

「がんばれ」はエールの言葉。

むしろ、それを安易に使う側の問題とそれを受け取る側の問題にあると思うのです。

こういった医療マニュアルは1980年代頃から日本に入ってきた米国のものだといわれます。
精神医療は担当する医師のサジ加減で大きく影響されてしまう。
そこに名医と薮の差があってはいけない。平均化することを現場は選択しました。
グローバリゼーションというものも後押しとなったことでしょう。

民族性や文化や環境などは考慮されることなく。
そして「頑張れ」は禁句としてマニュアルに記されて、
流布されていきます。

無理して頑張ることはないかもしれません。
また、頑張らなければいけない時もある。

言葉は使う相手がその時々の状況によって、
想像力という思いやりによって、使われるものです。
そして、わたしたちは医者ではない。
自分の言葉をマニュアルに置き換えなくとも、使う能力はある。

言葉自体に問題があるのではありません。

言葉は道具です。




言葉の力(5)