あかんたれブルース

継続はチカラかな

スポンサーは誰だ?



堀川辰吉郎は一生を通じてお金に不自由しなかった。

では、だれが堀川のスポンサーだったのか?

消去法として、
頭山満杉山茂丸を消します。

頭山も一生お金を稼ぐために働いたことのない人物です。
頭山は杉山に勧められて炭坑の切り売りをしましたが
その資金は借金で賄った。そのほとんどは高利貸しを利用した。
金があるときと無いときのギャップが激しく乞食と御大尽を繰り返していた。。
御大尽のときは湯水のように散財した。
明治の前半まではずっと乞食時代が続きます。
とてもとても継続的に計画的に誰かを援助できる人ではない。

杉山は玄洋社の事業企画部長といわれる人物ですが
こちらも生涯を通して経済的には浮き沈みが激しかった。
頭山よりは経済観念はあったですけれど、
援助されたことはあっても、定期的に堀川を援助する力はない。

頭山と杉山を知る人であれば、
この二人は堀川の経済的な援助者でないことは納得できると思う。

孫文

孫文にそんな金はありません。これも違う。


ここから推理です。

間違っているかもしれません。でも
昔から不思議に思っていたとなのです。ある人物の変身・・・

それは、井上馨

この人物は明治維新の前と後ではまるで別人のようだ。
特に明治に入ってからは評判が悪い。

聞多と名乗っている頃の井上は眩しかった。
わたしは井上が好きです。
それは、わたしの愛する伊藤博文の親友であり、盟友であるから。
二人の関係は生涯かわらない。

井上と伊藤の身分差は大きい。
桂小五郎(木戸 孝允)はそんな伊藤をバカにしているところがありました。
また高杉晋作にしても、家格や身分を意識していた。

井上の伊藤との付き合いにその匂いは感じない。


井上は、明治に入って変わる。
西郷隆盛から「三井の番頭さん」と揶揄された。そしてなにより
彼の汚名を決定的にしたのは
「尾去沢銅山事件」です。

これについては弁解の余地はない。井上は悪い、悪人です。
海音寺潮五郎も『悪人列伝』に入れている。
Wikipediaにも
「三井や長州系列の政商と密接に関わり、賄賂と利権で私腹を肥やし、
 散財するという行為が当時から世間において批判され、貪官汚吏の権化とされていた。」
と紹介されている。返す言葉がありません。

しかし、なぜこんなに井上は守銭奴になったのか?
というか、私腹を肥やし「散財する」の散財は個人的な散財です。
これには限界があって、飲み食いや色事ではそうそう使い切れるものではない。
また、井上がそんなに気前よく周囲におごっていたって話は聞かない。
もしそうなら、もっと人望もあったでしょうに。

書画骨董の収集に散財したのか? そうかもしれませんがそれでも限界がある。
もしそうなら、日本に「井上美術館」というものが存在してそうです。
「大倉」より「山種」より凄い日本一の美術館が。
そんな話も聞かない。あるのかな?

どんな道楽をしても一代で家を潰すことはないというジンクスを覆した
光村利藻や鹿島清兵衛ほどの大放蕩の記録もない。
そして、この二人が破産した理由は「カメラ」です。
そんな高等な趣味は井上にはなかった。

また、穴のあいた大風呂敷を背負った男・後藤象二郎と比較して
野放図という点ではスケールが小さい。
というか井上は商才があり、経済通です。バカじゃない。
三井の大番頭であり、長州閥として政府中枢にいる人物です。

井上はなぜそんなに金に執着したのか?
何に必要だったのか?何に使ったのか?

井上贔屓のわたしは、以前はこれはきっと密かに
盟友伊藤博文の政治資金を稼いでいたのではないか!
なんて健気に思っていた。人に言うとバカにされそうなので思っていただけ。
「金に汚い井上馨。金に清くて女に汚い伊藤博文
もし、そうだったら・・・という希望的な推測です。

ところで、堀川を最初に預かって頭山満に託したのは
井上馨だった。

堀川のスポンサーが井上馨である。

という推理、すこしは説得力ないだろうか・・・

なに? ない! 失礼しました(涙)



分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(14)堀川の金