あかんたれブルース

継続はチカラかな

ビビる人



ビビる、怖がる、恐れるという感情は
知性のひとつの現れでもある。
恐いも知らずというのは蛮勇でもある。

では、人間はなぜビビるのか?
知らない、わからない、からだ。だから学ぶ。
とうていそういった知識で賄えるものではないけれど、
すくなくと不必要に不用意にビビることは少なくなります。だろ

君が代をなぜそんなに恐れる?
国旗になぜそんなにビビるのだ?

この歌と国旗が象徴となって
先の戦争の不幸を招いた。この国歌と国旗の存在が
再びあの侵略戦争を繰り返す魁となる。と
考える人たちがいる。

この理論は間違っている。
理論の飛躍というもので、君が代日章旗にそんな力はない。
科学的に現実的にと普段いてるくせに
オカルトもいいところじゃないか。くだらん。

君が代は明治初年に薩摩兵が英国など諸外国に国歌があるのを
羨ましがって、横浜駐屯の英国軍楽隊長フェントンにたのんで
作曲してもらったのが最初。
君が代は英国人の作曲によるものです。

歌詞は古今和歌集からで、薩摩琵琶曲「蓬莱山」の一節が
採用されたものです。

当時、日本でラッパもピアノのバイオリンもない。
三味線か琵琶か太鼓か笛か皇室の雅楽しかないんです。
君が代は英国風の旋律で作曲されましたが
なんとなく当時の日本人にはしっくりこなくって
その後合計三回曲調がかわります。
現在の君が代は三度目の正直で、ドイツのお抱え音楽教師が
作曲したもの。

なんか不思議でしょ。
薩摩琵琶曲とドイツ人によるのが君が代なのだ。
そんなもののどこに軍国主義の効果があるのか?
耳なし法一でも発想の飛躍したか?

わたしが戦時中の憲兵か東条だったら
西洋の音曲として君が代を禁止したかもしれません。
彼らもそこまで考えなかったんでしょう。
同盟国ドイツだったから、ま、いいか、だったのか。

西南戦争乃木希典が軍旗を奪われ、責任を感じて自殺未遂を繰り返す。
それを周囲(軍人たち)は
「そんなの新しい軍旗に代えればいいじゃないか。
 たかが旗なのに、アホじゃない?」というのがおおかたの感想。

主義者殺しとされた甘粕大尉はそんな乃木が大嫌い。
また、皇居にお辞儀する人たちを
「あそこは天皇が住んでいるところだけれど
 天皇自身ではない。あほじゃないか」といっていた。

その甘粕が支配した満州満映には
右翼だけじゃなく、左翼の凶状持ちも大量に庇護されていた。

なにをそんなに、国歌や国旗にビビるのか?

知らないから、過剰反応して妄想飛躍して怯えるのだ。

理論的に、問題の本質は「知らない」にある。
歴史を知らない。
歴史から学ばない。

なぜ、歴史を知らないのか。
戦後、文部省は歴史の「近現代史」を教えないようする方針があった。
なぜか? その表記等で揉めると厄介だからだ。
それもあって、明治、大正、昭和の歴史を日本人は知らない。
マルクス史観や自虐史観が大手を振って実しやかに宣伝され
今度は面白おかしいアンチ自虐本が信奉される。
でも、ホントのところ実はあまりよくわからない。

わからないからビビる。


文科省の指導要領のままに歴史を、近現代史
教えてこなかった学校、教職員に
国歌や国旗を否定してみせるパフォーマンスに
わたしはなんら価値を見出しません。

教師自身が真面目に歴史に向かい合えば
そう単純に、安直に、その問題の本質が
国歌や国旗ではないことは右だろうが左だろうが
理解できるはずだ。
そうじゃないと屁理屈を述べるのは詭弁だ。
マスコミの人も最高学府を卒業した文系のエリートじゃないか。
なんで、それを煽るのか?売れるからか?
商売とはいえ、それはちょっと不味いんじゃない?

愛は信奉するくせに、愛国は許さない。
国がどうのこうのというのではなく
愛せる国にしようよ。