あかんたれブルース

継続はチカラかな

崖っぷちの羊たち

子供王国(9)


人を殺せば死刑になる。


信じられない動機で無差別に人を殺す
こういった事件が増えていますよね。
心斎橋の事件もそうですが
数年前の秋葉原の通り魔事件も酷かった。

わたしは死刑廃止論者じゃないけれど
こういう事件の犯人の動機を聞くと、死刑が抑止力になってない
と臍を噛む思いに駆られます。

少年法改正の論議はその軽重が争点ですが、
はたして厳罰や法にどこまで効果があるのか?
いや、改正反対とかじゃないんですよ。
少年だから、未成年だからってタカ括ってる連中には
少なくとも抑止力にはなるでしょう。

とは別に
死にたいけれど、死にきれない・・・だから
という人間に死刑っていったい・・・

米国なんかで銃乱射事件が起きますが
無差別に大量殺戮した後で警官隊が到着すると自殺してジ・エンド。
というのがあります。
なんか、死ねばそれで辻褄があうなんて変な話だ。と思う。

命って、命の価値ってなんだろう?

一人の命と多数の命 数なのか質なのか

戦争なんかじゃそれこそ何万何十万何百万と死ぬわけだ。
終戦直後に東条英機が自殺未遂を起こしました。
その動機を天皇を守る云々は別として、ダメだと思う。
それじゃあ責任をとったことにならない。
戦勝国の取り扱い云々でもない。
近衛文麿も同じです。大西瀧治郎はまあ別にいいかな。
この違いは、立場の問題ですかね。

死んでも罪は贖えない。

日本人は生死観についてもっと考えるべきだ。


話を戻して、自分が死にたいから、死刑になるために、の
こういった事件を極刑をもって抑制しようとしてもダメです。
くどいようですが死刑廃止論の話じゃないですからね。

その前の、根本の話として
ここに「自己中心」的な考えがある。
自分さえよければ、自分だけは、という利己主義。
履き違えられた個人主義
資本主義、競争原理の行き着く先の結果じゃないか。

こういった事件や事象をレアケースと捉えるのは
的を外していると思う。間抜けな文化人です。
ミクロとマクロは繋がっている。

これもまた羊たちのなかに芽生える狂気だ。
神懸かる羊たち驕り高ぶる羊たち沈黙する羊たち
屠られていく羊たち

もっとその根本の、たとえば教育というところで
是正しないとこの悪循環はどうにもならないんじゃなか。
法はすでに無力化している。

この国を再生するツボこそは
教育改革にあると思う所以です。