あかんたれブルース

継続はチカラかな

ちょん髷から東アジアまで



昨夜『軍師官兵衛』を観ていたら
風呂からあがてきた息子が
「これいつの時代なの?」と問うので
「信長がまだ若い頃、桶狭間の合戦前後だよ」
と答えました。で、息子がじーっと観てて
「この頃はまだちょん髷で剃ってないんだね」
と、ヘアスタイルに興味をわかせたようです。
ああ月代(さかやき)ってやつね。
ま、やってた人はいだろうけれど
ドラマではほとんど総髪で後ろで束ねた
柳生十兵衛スタイルでした(笑)。
関が原以降、徳川幕府になってから
ああいうちょん髷は一般的に定着するんじゃない。
サラリーマンの七三みたいに
「七三ってなに?」

えっ・・・(汗)

大河が9時で終わるとTBSで『のぼうの城』を
やっていました。
これはちょっと時代が下って秀吉の小田原攻めです。
横で宿題やってる息子に
「ほら、見てごらん。この時代だと
 月代も出てきてるだろう」
なんてちょうどよいちょん髷変遷史が
レクチャーできてよかったです。

元々は兜をかぶったときに蒸れないため
だったそうです。
江戸時代の髷は形式的な
「スタイル」になったようですね。

清国人(満州民族)もちょん髷に似た
辮髪というヘアスタイルでありますが
キン肉マン に出てくるラーメンマン参照)
非支配層の漢民族はこれに抵抗があったそうです。
漢民族のプライドがズタズタ・・・
それでも特権階級にすりよるには
というかそうせざるおえないわけですが
みんな恥を偲んで辮髪にした。
私たちから見ても変ですものね。大五郎みたいで(笑)
でも、西洋人からみた月代も辮髪も
同じだったんじゃないかな。

日本では逆に被差別部落民は
ちょん髷を結えなかったそうです。国によって色々だ。

ところで、黒沢明の『七人の侍』で志村喬
オープニングで髷を落として剃髪しちゃて
そのまま最後の武士のリーダーとして
(損得関係なく)戦うわけですが
あの時代背景は大阪の陣の後。
武士というものが形骸化していくさまを
象徴させていたんだなあと思うのでした。
武士道なるものが構築されるのはそれからの話。
(それ以前の隠し砦の三悪人では裏切り御免だ!)

のぼうの城』も損得勘定と理不尽が横行する
社会秩序に嫌気がさして無謀な戦いを挑む。
まあいろいろツッコミどころはあるでしょうが
気分的には清涼感のある作品でした。
三成も大谷刑部の描き方もよかったと思う。

たださ、今の世の中の風潮じゃあ
「民百姓を無意味な戦いに巻き込むなんて!」
と正論ばった大義名分でお叱りを受けそうです。
ま、髷を結ってた時代のことだったいいのかな?
ま、トチ狂った市民団体とか進歩的小市民は
何をいいだすかわからないですけどね。
これも成熟とやらだといういう人もいるけれど。

あのさ、中国韓国との関係を
「無益な」とかいう大義名分で
つまり目先の損得尽くで見誤ると
大変なことになると思うよ。
それって正論のようで非常に危険な思想だ。
首脳会談を急ぐ必要はどこにもありません。
何事も「時機」であり
まだ何も熟してなんかいない。
こっちからは門戸は開いてあるんだから
先方が冷静さを取り戻すのを待てばいいんじゃない。
アホなマスコミと似非有識者の言に
惑わされていけない。
と、思うのでした。