あかんたれブルース

継続はチカラかな

原点回帰フロム-I

愛する技術という発想(6)


崖っぷちっていう表現がありますが
いまの世の中、まさにそれで
私たちは抜き差しならないところまで
追い込まれている。そう思わない?
個人的にも社会全般にしても
政治も経済も外交もなにかもすべてが・・・
問題は山ほどあるのに
なにひとつコレという解決策がありません。
何かを解決させようとすると
その解決策がまた違う問題を引っ張り出してくる。

先日から消費税がアップされましたが
はたしでこれでうまくいくのか?
そう思う人は少ないはずです。
焼け石い水という言葉がある。
この水は私たちの血を使っている。
もう体中傷だらけで貧血気味でフラフラだ。

こういうやり方には無理があって
もっと根本から考え直すべきではないのかな。

原発問題ひとつをとっても
3.11でそれを考え直す機会を得たにも関わらず
結局はグダグダとまた引きずっていこうとする。
そういうときに現実主義者っぽく登場する
意見に
「じゃあ電気のない原始的な生活ができるか!」
という極論的恫喝めいた脅しがあります。

結局さ、現状維持で
なーんも変わらずに上手く楽にやろう
リスクをとらないでやろうという
発想がダメなんじゃないかな。
3.11のときの夏
関東では節電に勤しんでいたけれど
関西じゃまったく他人事だったものね。
対岸の火事
喉元すぎれば・・・こんなものだよな。

制度やシステムや政策以前の話で
私たち自身の価値観を変えない限り
なにひとつうまくいかない
そこまで追い込まれている
これが今の現状だと思う。
その障害に皮肉なことですが
私たちが信奉する民主主義とか自由主義
あるっていうのも頭の痛い問題です。
みーんな勝手だからねえ(汗)

そういうなかでフロムの愛の在り方についての
愛されることよりも愛することの重要性を説く
思想(アイデア)は非常に効果的なものだと
わたしは思うのだ。

なぜこれがこれまでさほど注目されなかったのか?
発表以来世界的なベストセラーで
ロングセラーとして日本でも初版から
二十数版の再版を重ねているから
ある程度の認知と信奉者はいたはずなのに・・・

きっと時代がそれを許さなかったんだね。
高度成長から物質文明の猛威が席巻していった
20世紀後半から現代に至るまで
多くの人が現在の価値観に懐疑などしなかった。

現在でも、よく競争原理という
大義名分が使われる。
しかし、この競争・・・いったい誰と?
なんのために?

学校教育で現在、相対評価から絶対評価
切り替わっっているの御存知でしょうか。
相対評価とは我々世代のときの五段階評価で
クラスに5が何人4が何人という振り分けが
あるやりかたです。
ここにクラスのカーストが生まれるのですが
どんなに優秀でも5は三、四人しか席がない
絶対評価は5が20人でも30人でも
下手したらクラス全員が5っていうのもアリだ。

教育としてどっちが効率効果的か・・・

それでも順位をつけようとする
競争させようとする
はたしてその結果の効果はどんなものだったか
その答えが現在の社会問題すべてにある。
そう思わないかね諸君。

そういうことをグダグダ批判しても
キリがないのですが
ただ一点だけね
シンプルに、
愛されることばかりに奔走してきたことが
現在の矛盾や悲劇や失敗の要因であったと
すればさ
ここで今一度
愛されることよりも
自ら、愛するということに考えを改めてみる
というのはとても重要なアプローチではないかと
思うわけです。

それは決してストイックなことじゃない。
もっと具体的に幸福感に直結する
現実的な方法論だからだ。

これは誰かを説得したり啓蒙する必要はない。
まず、自分からそうすればいいだけの話だ。
だってそっちの方は救われることはないからねえ
崖っぷちなんだから落ちるだけだ。
立ち止まり、道を改めるしか
選択肢はないんじゃないか

時代の頃合もちょうどいい具合です。
やったもんが勝ちみたいなものだ。