あかんたれブルース

継続はチカラかな

驕る平家久しからずや

愛する技術という発想(49)


「勝つ」ためには手段を選ばない。

マコトシヤカニ語られているこの呪文
その勝利を成功や儲けに置き換えても
この戦術が王道のようにもてはやされています
が、だ。
フライングやドーピング、狡すっからいウルトラC
ふくめて法にふれなけりゃなんでもOKで
ホントにいいのか?
道義的とか倫理とかとは別次元で
本当にこれで成功や栄光が獲られるものなのか?

わたしは歴史をファクターにして
ずっと疑問に感じていました。
ビジネス本のなかにこんな名言がある。
「悪いことができない人より
 悪いことができて
 悪いことをしない人が、成功する。
 実業界というものはそういうものです」
清水雅という人物の言葉だ。
この人は小林一三の薫陶を受け
阪急東宝宝塚グループの重鎮だった人物。
東宝中興の祖、阪急の大番頭の清水雅に
はたまた明治大正昭和を代表する小林一三
文句をつけられる者はそうそういない。

はたしてこの言葉をキレイ事とするか?
わたしには凄みのある言葉に響くけどね。

昨日は某牛丼チェーン店の不細工を
記事にしましたが
ここに経営者側と労働者側の信頼関係がある。
それを顧みず非情に徹した結果があれだよ。
似たようなことは事件事故に発展して
カタチをかえていろいろありますよね。
ここでもっと踏み込めば
温情主義の是非が問われるわけだ。

時代劇でよくある悪代官が
百姓は絞って絞って搾り取るみたいな
ああいう悪政が結果として一揆となるわけで
実際問題幕府に睨まれたら一発だ。代官が。
そうそう簡単にはいかない。
またテレビの世界と違って
残念なことに黄門様も桃太郎侍も現実にはいない。
越後屋も近江屋も伊勢屋もそれをいいことに
競争原理とコストパフォーマンスを鼓舞する
だけでなくなやり過ぎてこのザマだ。

温情主義経営といえば
カネボウ・鐘淵紡績の武藤山治です。
日本の紡績王として君臨した実業家だ。
実際彼の温情主義が好業績を達成させたのだ。
問題はその後
さらなる「もっと」を求めた結果
鐘紡は武藤を否定してしまう。

企業家資本家は悪の権化みたいにいうけれど
創業者とかその企業が活性化してる勢いのある
時代は健全なものだったりします。
それは日立の創業者小平浪平であり
出光興産の出光佐三であり
ホンダの本田宗一郎であり、と
枚挙に暇がない。
こういった事実を伝記社史のキレイ事と
言いきれるものだろうか?

創業者の精神を後継者たちが
いかに受け継いでいけるか
サラリーマン経営者にはこれが難しい。
宗教なんかもそうです。
空海がどんなに偉くても・・・後がねえ(汗)

もっと性善説性悪説まで踏み込んで
子供の教育まで身近によせて
子供は怠け者だから厳しく管理して責め立てないと
勉強しないと考えるそこのお母さん
ホントにそうなんだろかねえ。
ゆとり教育がさんざんパッシングされたけど
問題の本質はそこじゃないんじゃないか?

愛が足りないんだよ。

「社長、新事業の計画書できました!」
「おお経常利益150%アップか
 実現可能なのかね」
「リストラして役員以外はすべて非正規っす。
 一日24時間フルで稼動すれば20時間
 めし食わなければトイレ時間も減りますし
 食材は中国産と遺伝子組み換え契約農家から
 産地は適当に誤魔化してもバレやしません
 外国人使えば文句もいいません」
「わかった。やりたまえ
 ただし、責任はわしゃとらんぞ。
 しかし本部長そちも悪い奴よのうぅ」
「いえいえ社長ほどでは」

とまあこんな具合で効率的合理的といいながら
非常に非効率で不合理な結果と末路を遂げる
虚栄の花園は悪臭を撒き散らし
呼吸困難に陥らせていくのであった。