あかんたれブルース

継続はチカラかな

狐と狼と牡蠣ガラの逸話

心の扉(3)


というわけで早速、
上橋菜穂子の『狐笛のかなた』を読んでみました。
確かに、児童文学といって侮れない。
人間と狐の、そして遺恨、呪縛という
深~いテーマが込められていました。
著者あとがきにはそのようなことは一切ふれず
「私の心の底にある〈なつかしい場所〉の物語」
とだけ記されていた。
これは人間と狐の愛の物語でもある。

読後、ふと人間と狼の愛を描いたアニメ
おおかみこどもの雨と雪』と重ねてみた。
半年ほど前に金曜ロードショウで放送されたのを
観たのでしたが、結構な話題作みたいで驚いた
割にはなんか釈然としなかったんだなあ・・・
こちらは狼と契ったシングルマザーの子育て奮闘記
に親離れ子離れをそして宿命をテーマにしてた
のですが、どうもわたしにはピンとこなかった。
そこには、どうしても交われない狼と人間の壁
という宿命、限界があり
だったら最初からそういう設定にするなよ
という不満があったんだと思います。
感動した人たちには申し訳ないのですが
物語(オリジナル脚本)に無理があると思った。

対して、『狐笛のかなた』は
(ネタバレするみたいでなんですが)
そういうのをものともしない。
ここに作者の腹の括り方、姿勢があって
なんとも爽やかな読後感でした。

人間っていうものは生まれて育って
生きて死んでいくうえで、その人生において
さまざまなものを背負っていくものです。
おおかたは自分の因果、経験、足跡から背負っていく。
歳を取るということは、同時に背負っていくものが
多くなり重くなっていくものです。
歳を重ねると、若い頃違ってその背負ってるものが故に
なかなか身動きが取りにくくなるものだ。
坂の上の雲』で秋山真之はそれを船に喩えて
船底の牡蠣殻と表現しました。
それを固定観念ともいう。偏見もそれにあたる。
アイデンティティーとか自信とか訳される
ときもありますけどね。
長短あるわけだ。

とは別に、そういった後天的なものとは別に
先天的というか生まれた時点で背負わされる
ものもある。
この時代に生まれたこと。
この国に生まれたこと。
その両親から生まれたこと、遺伝などなど。
これは当人じゃあどうにもならない。
こういうのを「宿命」というのでしょう。

人によってこれには個人差があるものです。
また、それを糧に、バネに、する人もあれば
それに大きく影響され、押しつぶされる人もいる。

親からの遺産もそれです。
あ~あ、資産家の家に生まれてたらなあ
な~んて考えることもありますよね。
ところが財産というものは負の遺産というのもある。
たとえそれが現金や不動産とか有価証券などで
あってもそれはそれで背負わされていくもので
それが故に大変な苦労となる場合もあるものです。
近現代史なんかでリサーチしてると
そうそう万々歳って代物じゃないと痛感する。

ともかく、自分とはまったく関係ないところで
親の因果が子に受け継がれるわけだ。
なにも自分から望んで在日に生まれたわけじゃない。
ユダヤ人に生まれたわけじゃない。
日本人に生まれたわけじゃない。
アラブ人に生まれたわけじゃない・・・
この両親を選んだわけじゃない。
これはどうしようもない宿命なんだよね。

そういう人間の宿題とでもいうのか
根本的なところで、
『狐笛のかなた』と『おおかみこどもの雨と雪』は
まったく異なった捉え方をしている。
わたしの個人的な意見ですがその軍配は
断然前者の上橋菜穂子だ。
親として、こういう本を読ませたいと思うよ。

たかが児童書だとか
SFファンタジーの作り話じゃないかとか
いろいろチャチャは入れられるでしょうが
心の底にこういう原風景を描けるような
人生であったらいいなあと思います。
偏見や差別で呪われない
そういう人生であってほしいと願うわけだ。
そういうのをね、大人が馬鹿にして否定しちゃ
いけないよね。