あかんたれブルース

継続はチカラかな

せこいハムラビ「目には目を」との決別

愛する技術という発想(76)


週刊と銘打っておきながら、初っ端から
隔週になりそうで(汗)ったあ(汗)

お盆だねえ・・・原爆の日とか日航機事故、終戦記念日
八月は鎮魂と慰霊の月だ。
この時期には太平洋戦争にまつわるいろいろな
番組がオンエアされます。
特攻隊も大きなテーマとして取りあげられる。

わたしの地元には隣の知覧や加世田に
特攻隊の飛行場があった。
野球部の地区予選では知覧飛行場の跡地の球場で
やったものです。
センターの先には当時使用していた
大きな水タンクがあって
その球場の裏が特攻隊の記念館だった。
いまじゃ球場も記念館も立派に建てなおされてる。

話の角度をちょっと変えて
前回から続きだよ。

特攻となる少年航空兵員ってあるじゃない。
あれってさ、ただ若ければ良かったんじゃないんだ。
優秀じゃないといけない。
戦争末期だとだいぶ怪しくなりますが
それでもなんたって航空機を操縦するわけです。
(高価ですからねえ零戦っていうのは)
わたしのような不器用で物覚えの悪い者は
憧れても特攻は許されないのだ。

 教育問題を議論するうえで、
 そのポイントを優秀な層にあてるか
 中間層にあわせるか、それとも
 底辺裾野の劣等生たちにあてるか?
 これで大きく違ってくる。
 人権だ平等だがあってよけいに難しい。

海軍は若者の憧れだったんだ。
そしてなかでも搭乗員は
特攻隊、予科練に憧れても慣れなかった若者も多い。
頭があんまりよくないだけじゃない。
年齢が達してなかった、素行や出自に問題あり
などなど、ここで塞翁が馬なんて使っていいのか?
わかりません。

最後は「手相」まで調べられたそうで(汗)
「今回の特攻隊員は全員吉相であります!」
だってさ。笑えないよねえ(涙)

特攻隊モノでよく「名誉」とかいう言葉
出てきますよね。
彼らはある意味で選ばれた者たちなのだ。
むかし、『ライトスタッフ』って映画が
あったけど、まさにそれだね。
町内、地域でも大変な騒ぎだったんでしょう。
このへんのニュアンスも汲んでおくれ。
そして、「靖国で」という言葉にも
そういう含みもあるんだなあ。

戦争と教育とテーマで語られることは多い。
そのなかで、しごきやスパルタは伝統的で
それがいじめにもつながったことは
御存知だろうし、想像もつくよね。
軍隊というのは男社会で父性社会なのだ。
そして非日常の非常時、有事の環境だ。

平和ボケだ云々といわれますが
前回の「現実は厳しい」の続きなのですが
学生時代ぐだぐだやって就活で一転
めでたく意中の企業に就職が決まって
(選ばれたわけだ)
待っているのが「研修」というやつです。
これ、独特だよねえ。
そりゃあもう大変みたいですね。
下手すりゃマインドコントロール
新興宗教団体なんかも活用してるそうです。
へなちょこりんを企業戦士に仕立てるわけだ。
しかも短期間で。

わたしは現在の日本企業の社員研修のスタイルが
いついつどこで確立したのか
まだ調べていないのでわかりませんが
以前、日立のOBに聞いた話では
1970年まではそういうニュアンスじゃなかったみたい。

たぶん、こういった流れは軍隊からきてるんでしょう。
それが効率(効果)がいいんでしょうねえ。
そんなことを考えて、
前回そういう「力」で抑えつけるのは
違うんじゃないのかなあ・・・と書いたけど
問題は、仕込まれる側の問題もあるんで
そう簡単にいえないんだろうなあとも思った。

どこぞのブラックな牛丼チェーンでも
確かにあこぎな人使いだと胸を張っていえる
その反面、使われてる連中のなかのまた
その多くがどうにしようもない人たちであることも
当社特命調査員によって調査済みなのでありす。

こうなると、ニワトリかタマゴか
性善説性悪説
みたいなラビリンスに陥ってしまう。
ここにトラップがあるわけだ。

戦前からでも温情主義の企業は存在していた。
それは決してレアじゃない。
むしろ、今現在がちょっと往き過ぎてると
わたしは思うね。
30年前はこうじゃなかったもの。
もっと社会や会社に弛みやゆとりがあった。

テレビの街頭インタビューで70過ぎの
中小企業の社長さんみたいな人がしみじみ
こぼしていたよ。
「以前はこうじゃなかんんだけどねえ」

どこかで、みょうな大義名分で
日本人の心がささくれ
屈折している。
大いなる勘違いだと思うよ。
昔は、こうじゃなかったんだ。

やったらやりかえす
やられたからやる
こういう悪循環、負の連鎖はやめよう。
いま、ここで、自分のところからやめよう。
変な因果の糸車をまわしちゃいけない。

虐待の原因に、その親もまた被害者だった
という指摘がされています。
だと思うよ。因果というものはそういうふうな
もので応報されて引き継がれていくんだ。
だから、自分から断つ。

本当の意味での厳しさとは
そういうところにある姿勢なんじゃないか?
そこに幸せの因果が生まれるんだと思うよ。
と、いうようなことを考えておりました。