あかんたれブルース

継続はチカラかな

ゴールドフィンガーちんちん



やくざの女ってものは享楽で軽率で
逆依存型で典型的なだめんず・うぉ〜か〜で
現代精神医学の捉え方からすれば
幼少期に深いダメージを受けた「病気」の人
ということになってしまう。
自虐の詩』の幸江もその一人だ。

あれは飯干晃一の『山口組三代目』だったと
思いますが、そのなかの著者コメントに
やくざの女は本能的に相手を選んでいるもので
相手の容姿や経済力などの条件には左右されない
というふうに記していた。
これって、ある種の純正ですよね。

親の見合い相手じゃないんだから
自由恋愛というものは
一目遭ったその日から恋の花咲くときもある
これ、恋愛の基本なんじゃないか?
内村鑑三先生もそうだったといいます。

差別という環境のなかで
それが障害になる場合だってある。
千昌夫の『星影のワルツ』もそういう下敷きがある
なっていわれている。
酷な言い方をすれば、それも言い訳なのかも。

宮本輝の初期の短編には彼が少年時代に体験した
在日朝鮮人の帰還事業が記されている。
昨日まで一緒に遊んでいた友達との別れ
それは黄民基の『奴らが哭くまえに』でも
深く印象に残されていました。
そこは貧困も差別もないパラダイスだと
そこでは毎日「ハム」が食べられるのだと
そういって
友人は親と一緒に引き上げ船に乗っていった。
不安とさびしさを希望に言い換えて

その後のことを思うと、悲惨だよねえ・・・

そういう引揚者のなかには多くの日本人妻もいた。
93,340人が北朝鮮へと渡り、
そのうち少なくとも6,839人は日本人妻や子といった
日本国籍保持者だったといいます。
親の反対もあっただろうし
それ以上に、差別をものともしない環境もあった
のでしょう。それは人それぞれで
好きになった相手がたまたま朝鮮人だった
だけのことだったと思う。
さほどの打算の余地は少なかったのではないか。
多少あったとすれば
今よりも、幸せになれるかもしれない。

その後の彼らの落胆を思えば
なんとも可哀想で仕方がない。
「ほらみろ言った通りじゃないか」
勝ち誇る小心者の罵倒。

悲惨だねえ

その悲嘆や絶望感を想像するに、
なぜそこまでして生きなければならないのか
そんな誤った考えが持ち上がる。
暴論を承知で
いっそ死んでしまえばいいのにと考えてしまう
みんな一心太助みたいな心意気で
ユダヤ人じゃないんだから『夜と霧』みたいに
達観することもないんじゃないかと。
ソフィーの選択は誤っていたんだから・・・

そうやってみんなが絶望に陥らせる施政であれば
みんな愛想尽かして死んでしまうような
そういう儚いものであれば悪政や暴君は生まれない
のではないかと短絡的に思ってしまう。

司馬さんの『関が原』の大谷刑部みたいに
「死ねや死ねや」と輿にのって鼓舞したい。
熱狂して死んでしまいたいよ。
死んでしまったほうが楽だよなあ

北朝鮮がいまだ存続しているのは
それなりの抜け目があるのかもしれない。
それなりの理由が。
もしかしたら民主主義ってそういうバランスで
成立ってる残酷な制度なのかもしれない。

とは別に、したり顔で正常と異常をカテゴライズして
もっともらしく分析する風潮には唾棄するよ。
人が人を好きになることに
なにかと条件を付随させないと納得されない
その純愛の敗北の世界には
渇いた風が吹いている。

その荒野で、さびしくて
途方にくれているのではないか
そんな思いが身を焦がす
あっちっちんちん!
燃えてるんだろうか?
焦げてるんだろうなああ・・・GOです(涙)。
http://www.youtube.com/watch?v=8s2bzAolQWE